礼拝メッセージ(2018年5月13日)

「愛の讃歌」

聖書・コリントの信徒への手紙Ⅰ:12章27節~13章13節

林 健一 牧師

 

『小さいことは自由、大きいことは一致して、すべてに愛をもって』

この言葉は教会とは何であるのか、それを一言で見事に言い表した言葉であると思います。教会とは何ですか?と聞かれたときに私たちはこう答えることができます。私たち一人ひとりは違いがあります。その一人ひとりを父なる神さまは愛によって一つとしてくださいました。私たちの生き方すべてに父なる神さまの愛がつらぬかれているのです。
この言葉は、私たちキリスト教会が求める姿であり忘れてはならない言葉です。

私たちは罪から救われて神の家族となり太田キリスト教会へと導かれました。これは偶然の出来事ではありません。私たちはそれぞれの人生の歩みのなかで、共に神さまを礼拝する者として呼び集められました。神さまに愛されるためそして愛するためです。私たちはお互いに違いはありますが神さまを礼拝する者として一つにされたのであります。

『すべてに愛をもって』これはキリスト者としてとても大切なことです。伝道するとき、奉仕をするときあるいはお互いの交わりのなかにおいて愛をもつことが大切であるということです。けれどもこの愛は私たち人間のもつ愛ではありません。愛という言葉を聞いたときに皆さんはどのように愛というものを感じるでしょうか。理解するでしょうか。男女の愛でしょうか。親子の愛でしょうか。今日、一緒にお読みしました。聖書・コリントの信徒への手紙一13章1~13節、ここでパウロが愛について力強く語っています。ここを読むとき私たちの心にはああ愛がないのだと思うのではないでしょうか。

しかし、ここでパウロが言っている愛は人間の愛ではありません。父なる神さまの愛そして主イエス・キリストの愛であります。神さまの愛であります。「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました」(聖書・ローマの信徒への手紙5章9節)

主イエス・キリストの愛を知ることによって、私たちのなかに初めて『すべてに愛をもって』が実現されていくのです。主イエス・キリストの愛をとおして私たちは神さまから愛されることの喜び、すばらしさを知っていくのです。

主イエス・キリストの愛によって私たちは新しく生かされる者となりました。キリストを信じるということはキリストの愛を受けて生かされるのだということを信じることなのです。