礼拝メッセージ(2018年5月20日)

「造り上げる言葉」

聖書・コリントの信徒への手紙Ⅰ:14章1節~19節

林 健一 牧師

 

本日はペンテコステです。聖書・使徒言行録2章にペンテコステの出来事が記されています。聖書はペンテコステの出来事は教会が生まれた日としてその出来事を記しています。聖書・使徒言行録2章5節~12節には五旬祭(七週祭)にあらゆる国からユダヤ人たちがエルサレムに集まっていました。イエスさまの弟子たちは聖霊によって様々な国の言葉で神さまの御業を語り始めた。人々は弟子たちの言葉を聞いて驚くのです。ペンテコステは教会が生まれた日はもちろんのこと教会の使命と目的が宣教・伝道であることを知ることができる。「神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」(聖書・使徒言行録2章:11節)神さまはそのために私たち教会を召されたのです。

聖書・コリントの信徒への手紙Ⅰ:14章ではコリント教会が異言を多く話す人がいたことが記されています。異言は賜物(聖書・コリントの信徒への手紙Ⅰ:12章10節)であり、神さまとの個人的な交わり、深い交わりの中で出てくる言葉、自分を造り上げていく言葉であることが、聖書・コリントの信徒への手紙Ⅰ:14章のパウロの言葉からわかります。パウロが書いた内容を読むとコリント教会では異言を語ることで教会が混乱していたのと異言を語ることに夢中になってしまって教会の秩序や交わりを軽視していた人たちがいたようです。日本の教会はどうであろうか?コリント教会だけのことでなく私たちにも同様の問題があるのではないでしょうか。異言を語ることはしないが自分だけの信仰に心が向いてしまい教会全体のことに心が向いていないことはないでしょうか。信仰は個人の事柄でもありますが教会、神の家族を建て上げていくことでもあります。自分を建て上げていくことが家族、社会を建て上げていくことにつながらなければならないのです。

パウロは異言を語るよりも預言を語る人になりなさい。「特に預言するための賜物を熱心に求めなさい」(聖書・コリントの信徒への手紙Ⅰ:14章1節)とコリント教会に勧めます。預言を語ることは「神さまの御業」「神さまの愛」当時人々が最も忌み嫌っていた愚かな「キリストの十字架の言葉」(聖書・コリントの信徒への手紙Ⅰ:1章18節)を語ること、伝えることなのです。そこには人びとの拒絶もあるかもしれない。自分が否定されることもあるかもしれない。それは愛が必要とされる行為でもあります。パウロは主に愛されているあなたがたが主と同じように愛を語る者となりなさい。と言われるのです。「異言を語るより神さまの愛を語ろう。」私たちは主の愛を求めている人たちに愛を伝える使命が与えられているのです。私たちは互いに愛の言葉をもって教会を造り上げる使命が与えられているのです。