礼拝メッセージ(2018年9月9日)

「エ フ タ の 誓 願」
聖書・士師記 11章29節~40節
林 健一 牧師

神様との失われた関係
神のひとり子であるイエス・キリストはなぜこの罪の世界に来られたのでしょうか?聖書・ルカによる福音書に、イエス様は罪の世界に来られたのは、「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」(聖書・ルカによる福音書19章10節)。私たち人間は神様のまえに失われた存在であり、イエス様は私たちを再び神様のまえに在る(生きる)者となるために来られたのだと言われます。聖書は例外なくすべての人間は神様のまえに失われた存在であるというのです。失われた関係を再び取り戻していくことは時を必要とします。お互いをよく知っていくために時間が必要です。
先週、私たちはギレアドのリーダーとして神様によって立てられたエフタを学びました。エフタは遊女の子であり、父の兄弟たちから家を追い出されました。ギレアドの危機に際して再び追い出された父の家に戻ったのです。兄弟たちとの失われた関係、そして何よりも神様との失われた関係を取り戻していくためにエフタは時を必要としました。私たちも神様を信じたからといって、すぐに神様との親しい関係になるわけではありません。時間を必要とします。どうか神様がよくわからないといって簡単に信じることをやめないでください。親しい関係を建て上げていくには時間を必要とします。

神様は私たちに信頼していくことを望まれます。
エフタはアンモン人との戦いのまえに誓願を立てます。それはアンモン人との戦いに勝利したならば、最初に自分を迎える者をいけにえとして献げるという誓願でした。結果エフタを最初に喜んで迎えに出た者はエフタのひとり娘だったのです。心痛む話であります。神様はエフタの誓願を喜ばれたのでしょうか?今日の士師記には神様の御思いは記されておりません。しかし、聖書全体を読むとき神様はただの一人も命が失われることを望まないことがわかります。福音の福音といわれる聖書の言葉「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」(聖書・ヨハネによる福音書3章16節~17節)
神様は私たち人間にいちばんに求めておられることは何でしょうか?神様を畏れ敬うことでしょうか?何かを神様に献げることでしょうか?神様のために何かを犠牲にして奉仕することでしょうか?それらは私たちの信仰の成長にとって大切なことでありますがいちばんではありません。神様がいちばんに私たちに求めておられるのは信仰(信頼)です。神様は私たちがどんな時でもご自分に信頼していくこと、甘えていくことを何よりも望まれます。神様がエフタにいちばんに求めておられたのは約束ではなく「あなたを信頼します。」という言葉と思いでした。神様は私たちにどんなときでも信頼することを望まれるのです。