礼拝メッセージ(2021年10月3日)

『 幸いな人 』  林健一 牧師

イエスがこれらのことを話しておられると、ある女が群衆の中から声高らかに言った。「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は。」

しかし、イエスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」

ルカによる福音書  11章:27~28節(新共同訳)
 
 先週はイエスさまが汚れた霊の話しをとおして神さまこそ私たちを宿命、運命から解放することができるお方であるといわれました。イエス様の答えがあまりにもすばらしく感動したのでしょう。ひとりの女性が声高らかにいいます。
「なんと幸いなことでしょう、あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房は。」(27)。あなたのお母さんは幸せな人ですね。こんなにも素晴らしい息子を持ってあなたのことをどれほど誇りに思うことでしょうか。イエスさまはこういわれました

 「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」(28)
もちろんイエスさまの母マリアは幸いな者です。ですがそれ以上に幸せな人とは神の言葉を聞き、それを守る人たちだ。とイエスさまは言われます。
 「幸いな人」、口語訳では「めぐまれている人」、英語の聖書ではBlessed 神さまの祝福を受けている。まことに羨ましい人を指しています。詩篇にもよく「幸いな人よ」という言葉がありますが、この「幸いな」というのはその人が健康だから、お金を持っている、よい家族、環境に恵まれているのではなくその人自身が運命や状況に左右されずに幸いである、幸いを作りだすことができる。だからまことに羨ましいと言っているのです。私たちが生きている現代はまことに変化の多い時代です。状況によって左右されずに幸せになる。ではイエスさまが言われた「神の言葉を聞き、それを守る(番をする)人」にはどのような神さまからの祝福が注がれるのでしょうか?

 罪に捕らわれたわたしたちに解放を告げ、罪の生み出す悲惨と苦しみからわたしたちを救い出し、恵みのもとにわたしたちを置いてくださるのは主イエス・キリストです。そのお方から語る神さまからの言葉を聞くことができることは何と幸いなことでしょう。神さまの言葉を行うということは、常に赦しつづけ、常に受け容れつづけてくださる神さまの恵みを信じて、神さまの恵みのうちを歩み続けることに他ならないのです。だからこそ、そう信じて歩むものは幸いなのです。