礼拝メッセージ(2021年2月28日)

『 あなたの信仰が救った 』 ルカによる福音書 8章:40~48節  林健一 牧師

 今日読んだ聖書の箇所には二人の人が登場しています。ひとりは、ヤイロという名前をもつ男性、もうひとりは名前のない女性であります。この二人を中心にして、ふたつの物語が展開して、まるで合わさってひとつの物語のように語られています。ふたつとも命の物語として見ることができます。この二人の人に共通していることは命が失われようとしている、誰もくい止めることもできないどうすることもできない絶望の中にあったということです。

 ヤイロの家に行く途中でもう一人の女性の癒しが起りました。彼女に主イエス様が関わりを持つことになっていったのです。彼女は名前も年齢も記されていません。聖書には、「ときに、十二年このかた出血が止まらず、医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえない女がいた。」(43)と彼女のことを記しています。何かの病気で12年間も血が止まらなかったのでしょう。12年もの間大変な病気で苦しみ続けていました。医者に全財産を使い果たしたが、だれからも治してもらえずに絶望の中にあったのです。

 そのような絶望の中にあった彼女に人生の転機・分岐点がおとずれました。「この女が近寄って来て、後ろからイエスの服の房に触れると、直ちに出血が止まった。」(44)主イエス様なら何とかしてくださるだろうと考えていたのでしょう。けれども面と向かってお願いすることができなかったのです。病気のゆえに穢れた者とされ主イエス様に近づくことは許されませんでした。彼女は勇気を出し近づいたのです。主イエス様への信仰とは勇気を出してふみ出した一歩から始まることだと教えられます。余裕の一歩ではない。苦しみの中からふみ出す一歩が素晴らしいのです。

 主イエス様は「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きない。」と救いの宣言を与えて下さったのです。主イエス様が言いたかったこと、それは彼女との関係が新しく生まれた。終わりではないということです。皆さんは主イエス様との信仰についてどう考えておられるでしょうか?自分で終わらせることのできる関係でしょうか?そうでなく主イエス様によって始まった失われることのないつながりでしょうか?