礼拝メッセージ(2022年6月5日)
『 しなければならないこと 』
林健一 牧師
ルカによる福音書 17章:7節~10節
17章 07節:あなたがたのうちだれかに、畑を耕すか羊を飼うかする僕がいる場合、その僕が畑から帰って来たとき、『すぐ来て食事の席に着きなさい』と言う者がいるだろうか。
17章 08節:むしろ、『夕食の用意をしてくれ。腰に帯を締め、わたしが食事を済ますまで給仕してくれ。お前はその後で食事をしなさい』と言うのではなかろうか。
17章 09節:命じられたことを果たしたからといって、主人は僕に感謝するだろうか。
17章 10節:あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」
ルカによる福音書 17章:7節~10節(新共同訳)
本日はペンテコステ(聖霊降臨祭)を記念する礼拝です。主イエスさまが十字架に磔にされた時、弟子たちはイエスさまを見捨てて逃げました。彼らは甦られたイエスさまに再び召命をいただいて宣教と押し出されます。聖霊を受けた弟子たちは自分たちの能力、意志でなく内におられる聖霊なる神さまに導かれ新たなる宣教、世界伝道の道へと進んでいきました。
先週私たちは主イエスさまが教えられて弟子たちのあるべき姿を学びました。イエスさまは弟子たちに「からし種一粒ほどの信仰があれば」(17・6)と言われました。信仰とは自分で増し加えるのでなく信じる対象である神さまと結ばれること、主イエス・キリストとの結びつきなのだと言われます。そういう意味で聖霊なる神さまが私たち一人ひとりの内に住まわれることは主イエスさまとの結びつきを与えてくださることの証しでもあります。私たちが主イエスさまに従っていくならば新たなる者として歩みだすことができ人生を新しくしていくことができるのです。
主人である主イエスさまが、僕である私たちにお命じになること、私たちが「しなければならないこと」とは何でしょうか。それが先週読みました1~4節に語られていると言えると思います。つまりルカはここに、主イエスさまの僕として生きる私たち信仰者がしなければならないこと、私たちの主人である主イエスさまが私たちに命じておられることを語っているみ言葉を集め、並べているのです。私たち教会のなかで最も小さい者を愛し、罪を赦し、受け入れ続けていくこと、このことを主イエス・キリストの僕としてしなければならないことです。主人であるイエスさまが私たちを愛し、赦したように私たちも僕として当然為すべきことであると主イエスさまは言われます。それは当たり前のことであり褒められるべきことでも何でもないことなのです。主イエスさまの僕であるならして当たり前のことなのです。
10節「あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい。」