礼拝メッセージ(2022年8月21日)
『 メシアの受難と復活 』
林健一 牧師
ルカによる福音書 18章:31節~34節
18章 31節:イエスは、十二人を呼び寄せて言われた。「今、私たちはエルサレムへ上って行く。そして、人の子について預言者が書いたことはみな実現する。
18章 32節:人の子は異邦人に引き渡されて、嘲られ、侮辱され、唾をかけられる。
18章 33節:彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、人の子は三日目に復活する。」
18章 34節:十二人は、これらのことが何一つ分からなかった。彼らにはこの言葉の意味が隠されていて、イエスの言われたことが理解できなかったのである。
ルカによる福音書 18章:31節~34節(新共同訳)
本日は召天者記念礼拝をおぼえて礼拝を捧げていきたいと思います。今日の箇所はイエスさまが、ご自分の受難、死を予告なさった場面です。イエスさまは今、エルサレムへと向かう旅路を歩んでおられますが、それは、エルサレムにおいて、異邦人に引き渡され、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられ、鞭打たれて殺されるため、そして三日目に復活するためでした。そのことをイエスさまは弟子たちに前もってはっきりとお告げになったのです。イエスさまがご自分の受難を予告なさったのはこれで三度目です。
「人間にはできないことも、神にはできる」。私たちがこの傲慢の支配から救い出されて義とされ、神の国、神さまの救いにあずかる者となることは、神さまご自身のみ業によってこそ実現するのです。その神さまのみ業の実現のために、神さまの独り子であられる主イエス・キリストが、人間となってこの世に来て下さったのです。主イエス・キリストはどのようにしてこの神さまの救いのみ業を成し遂げて下さるのでしょうか。それは、私たち人間のどうしようもない傲慢の罪による苦しみを引き受け、肉体的にも精神的にも「乱暴な仕打ちを受け」て、人間の傲慢の犠牲となって死んで下さることによってです。そのことが、今日のこの主イエスご自身による受難の予告に語られています。「人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから殺す」。イエスさまはこのようにして、私たちの傲慢がもたらす、肉体的精神的なありとあらゆる苦しみをご自分の身に負って下さり、それによって死んで下さったのです。つまり私たちの傲慢が、神さまの独り子であるイエスさまを殺したのです。
しかしそれに続いて「そして、人の子は三日目に復活する」ということもここに予告されています。私たちの傲慢の犠牲となって死んで下さったイエスさまを、父なる神さまが復活させて下さったのです。それは、神さまの恵みが私たちの傲慢の罪に打ち勝ったということです。人間の傲慢がもたらした死が、神さまの恵みによって打ち破られ、新しい命、永遠の命が切り開かれたのです。神さまが独り子主イエスさまの復活によって、私たちの傲慢の罪に打ち勝って切り開いて下さったこの新しい命にあずかることによってこそ、私たちは神の国、神さまの救いにあずかることができます。「人間にはできないことも、神にはできる」という神さまの救いが、この主イエスさまの復活において実現するのです。