礼拝メッセージ(2022年8月28日)
『 信仰があなたを救った 』
  林健一 牧師 
ルカによる福音書 18章:35節~43節

18章 35節:イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道端に座って物乞いをしていた。

18章 36節:群衆が通って行くのを耳にして、「これは一体、何事ですか」と尋ねた。

18章 37節:「ナザレのイエスのお通りだ」と知らせると、

18章 38節:彼は、「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください」と叫んだ。

18章 39節:先に行く人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、私を憐れんでください」と叫び続けた。

18章 40節:イエスは立ち止まって、盲人を連れて来るように命じられた。彼が近づくと、イエスはお尋ねになった。

18章 41節:「何をしてほしいのか。」盲人は、「主よ、また見えるようになることです」と言った。

18章 42節:そこで、イエスは言われた。「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」

18章 43節:盲人はたちまち見えるようになり、神を崇めながらイエスに従って行った。これを見た民衆は、こぞって神を賛美した。

ルカによる福音書 18章:35節~43節(新共同訳)

 きょうの話の舞台はエルサレムからほど遠くないエリコという町の近くです。イエスさまはエルサレムを目指して旅を続けてきました。先週の説教でも話しましたがイエスさまがエルサレムを目指して旅を続けられたのは十字架による救いのみ業を完成させるためです。ガリラヤから、サマリアを通ってエルサレムへと向かって来られたイエスさまの一行にとって、エリコは旅の途中で立ち寄る最後の町です。いよいよ、エルサレムへの旅路における最後の町に近づかれた、というのが本日の箇所です。


 イエスさまがエリコの町に入ろうとするとそこに、「ある盲人が道端に座って物乞いをしていた」のです。この人は町の門を出たところに座って物乞いをしていたのです。イエスさまと弟子たちの一行がそこを通ろうとしていたのですが、その周囲には噂を聞きつけた多くの群衆が群がっていたのです。彼が、「これは、いったい何事ですか」と人々に尋ねると、「ナザレのイエスのお通りだ」とのことです。それを聞いたとたん彼は、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫び始めました。


 彼はイエスさまに「ダビデの子よ」と呼びかけています。「ダビデの子」という呼び方は、皆が期待し、待っている「救い主」という意味であり、イエスさまに向かって「ダビデの子よ」と呼びかけるということは、イエスさまあなたこそ救い主・癒し主です、という信仰を言い表していることになるのです。彼はイエスさまに向かって「わたしを憐れんでください」と叫びました。自分の苦しみ、悲しみ、惨めさをどうすることもできず、どう取り繕うこともできないことを知っていたがゆえに、彼は今自分の前を通って行こうとしておられる主イエスに、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と、なりふりかまわず叫び求めたのです。


 み前に近づいた彼に主イエスさまは「何をしてほしいのか」とお尋ねになりました。彼はこの問いに答えて、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と言いました。イエスさまの「何をしてほしいのか」という問いに、「主よ、目が見えるようになりたいのです」と答えたのは、実は驚くべきことだと思います。イエスがあの問いかけによって、彼のこの答えを導き出して下さったのです。彼はイエスさまの促しによって、自分の苦しみ、抱えている問題の根本を見つめ、そこにおける救いを求める心からの願いを主イエスさまに語ることができたのです。