礼拝メッセージ(2023年12月3日)
『 光の子となるために 』
石井努 牧師
ヨハネによる福音書 12章:24節~36節

24:ヨハネによる福音書/ 12章 24節
はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
25:ヨハネによる福音書/ 12章 25節
自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。
26:ヨハネによる福音書/ 12章 26節
わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」
27:ヨハネによる福音書/ 12章 27節
「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。
28:ヨハネによる福音書/ 12章 28節
父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」
29:ヨハネによる福音書/ 12章 29節
そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、ほかの者たちは「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。
30:ヨハネによる福音書/ 12章 30節
イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。
31:ヨハネによる福音書/ 12章 31節
今こそ、この世が裁かれる時。今、この世の支配者が追放される。
32:ヨハネによる福音書/ 12章 32節
わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」
33:ヨハネによる福音書/ 12章 33節
イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。
34:ヨハネによる福音書/ 12章 34節
すると、群衆は言葉を返した。「わたしたちは律法によって、メシアは永遠にいつもおられると聞いていました。それなのに、人の子は上げられなければならない、とどうして言われるのですか。その『人の子』とはだれのことですか。」
35:ヨハネによる福音書/ 12章 35節
イエスは言われた。「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。
36:ヨハネによる福音書/ 12章 36節
光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」

ヨハネによる福音書 12章:24節~36節(新共同訳聖書)

         

 今を生きる私たちにとって、十字架と栄光は、切り離して考えることは出来ません。そして、その栄光はイエス様の十字架による贖罪の死と復活を抜きにして捉えられるものでもないのです。先日もお話に使わせていただいた「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」 この言葉は、自然の営みを通して示されています。一粒の種が地にまかれなければ、植物は実を結びはしないということ。私たちは日々の生活の中でこのことは目にしますし、この言葉をそのように理解することは出来るでしょう。しかし、私たちはこの言葉を聞いたときに、人生の経験や信仰の事柄として当てはめて考える事はなかなかしないでしょう。イエス様が伝えようとしたことは、神の御計画なさった栄光。イエス様が死ぬことによって永遠にもたらす多くの実りなのだという事だったのです。現在私たちが目にしていることは、イエス様の十字架が救いをもたらし、そして、十字架の出来事から教会を生み出しているという事実なのです。「十字架」、この標の下に神の家族がある事を示しています。教会における十字架の意味は苦難を通して栄光に繋がることを教えています。
  35イエスは言われた。「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。 36光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」ヨハネによる福音書では初めからイエス様は光として証言されていました。救い主イエス・キリストは罪の暗闇に飲み込まれそうな人間を照らす光です。イエス・キリストは永遠の存在です。初めからおられ、また永遠におられる方です。しかし、ここでは「光は、いましばらく、あなたがたの間にある」とおっしゃっています。これは十字架を前にした主イエスが、この地上で自分が人々の間にあるのは「いましばらく」であるという宣言と、それに加えて、この世にある私たちが終末を迎えるにあたって、イエス様を信じる時間が「いましばらく」あるという導きでもあるのです。
 「イエスは、これらのことを話してから、立ち去って彼らから身を隠された。」「今、まだ光はここにあります」したがって、私たちは今、じっとしているべきではありません。動かないで、そのまま見過ごしている場合ではないのです。今こそ、あなたは動いて、信ずべき光を捕まえて、放さないようにしましょう。そうしないと暗闇があなたに襲い掛かってきます。すべてに時があります。それは、私たちに賜る神の時です。信じましょう。信じて行動しましょう。そうしなければ、神の時は私たちのところから過ぎ去ってしまいます。「わたしは大丈夫」そのような考えは捨ててください。そして、時にかなったこの世の光は、すべてにもまして美しくあなたを包み込んでくれるのです。私たちは「光のこども」として神の時、神の道を歩んで行きましょう。