礼拝メッセージ(2023年3月26日)
『 二振りの剣 』 林健一 牧師
ルカによる福音書 22章:35節~38節

22章 35節:それから、イエスは使徒たちに言われた。「財布も袋も履物も持たせずにあなたがたを遣わしたとき、何か不足したものがあったか。」彼らが、「いいえ、何もありませんでした」と言うと、

22章 36節:イエスは言われた。「しかし今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい。

22章 37節:言っておくが、『その人は犯罪人の一人に数えられた』と書かれていることは、わたしの身に必ず実現する。わたしにかかわることは実現するからである。」

22章 38節:そこで彼らが、「主よ、剣なら、このとおりここに二振りあります」と言うと、イエスは、「それでよい」と言われた。

ルカによる福音書 22章:35節~38節(新共同訳)

 

 十字架につけられる前の晩に主イエス様が弟子たちと共に「最後の晩餐」をなさった、その席におけることがルカによる福音書第22章の14節から語られています。本日読む35~38節はその最後の所です。主イエス様は先ずここで弟子たちに、以前「財布も袋も履物も持たせずにあなたがたを遣わした時、何か不足したものがあったか」と問われました。しかし、何も持たずに出かけて何か不自由したかというと、彼らがここで答えているように、何も不足することはありませんでした。主イエス様はそのことを彼らに思い出させておられます。その上で、「しかし今は、財布のある者は、それを持って行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい」とおっしゃったのです。


 「しかし今は、剣を手に入れなさい」というみ言葉はどういうことなのでしょうか?その「今」というのは、弟子たちがサタンのふるいにかけられ、試練にあおうとしている今です。信仰が試されようとしている今です。またそれは同時に、その試練を前にしてペトロが「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と宣言して、自分の信念、決意、覚悟を貫こうとしている今でもあります。主イエス様は、弟子たちが試練を目前にして、今どのような思いで歩もうとしているのかを見つめつつこのみ言葉を語っておられるのではないでしょうか。


 そこには剣が二振りあり、主イエス様は「それでよい」と言われました。この後、祭司長たちに率いられた群衆が、剣や棒を持って主イエス様を捕えに来ます。武装した群衆の前で、この二振りの剣は全く無力です。身を守る役には立ちません。彼らが持っている二振りの剣は、彼らをふるいにかけ、試練を与えるサタンの力の前では全く無力なものであって、それによって信念を貫くことなどできはしないのです。主イエス様の十字架によって実現し、与えられる罪の赦しの恵みによって生きるのでなく、自分の力で、信念、決意、覚悟を貫いて歩もうとする時、私たちは、剣を振り回すようになります。


 しかしそういう私たちの罪と弱さを主イエス様は全てご存知であり、それを担って下さり、ご自分の命を犠牲にすることによって私たちを赦して下さり、また私たちが人に負わせてしまう傷を癒して下さるのです。この主イエス様の救いの恵みをいただいて、この恵みにこそ依り頼んで生きることが信仰です。そこには、剣はおろか、財布も袋も履物も何も持たなくても不足することが全くない、恐れや不安から解放された、真実に平安な歩みが与えられていくのです。