礼拝メッセージ(2023年4月9日)
『 復活のイエス 』 石井努 牧師
ヨハネによる福音書 20章:11節~18節
20章 11節:マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、
20章 12節:イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。
20章 13節:天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」
20章 14節:こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。
20章 15節:イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」
20章 16節:イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。
20章 17節:イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」
20章 18節:マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。
ヨハネによる福音書 20章:11節~18節(新共同訳)
「マリアよ」 自分の名を呼ばれたとき、墓の管理人だと思った人がどなたであったのか彼女は気が付いた。羊は、自分の名を呼ぶ羊飼いの声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。ヨハネ10章の御言葉でありますが、このように教えておられます。イエスさまは群れの1人ひとりの名を呼ばれる大牧者であるのです。
イエスさまが十字架の苦しみをお受けになって、死人の中から甦られたのは、父なる神の元に昇り、「成就した」とお話になられた神の計画、贖いの御業の故に、イエスさま御自身によって、マリアのように必死に探し求め見上げる者、すべての人の執り成しをされるためであったのです。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って「わたしは主を見ました」と告げた。そして主から言われたことを伝えた。
復活のイエスさまは、御自身から私たちの個人の名をお呼びになるのです。イエスさまの呼ぶ声によって私たちは復活のイエスさまに出会い、永遠の命を頂くのです。このようにマリアに与えられた任務はマリアのみならず、個人の名を呼ばれた私たちに当てられた任務であるのです。罪を知らされ、贖いの十字架によって救われたわたしたちはその復活によって永遠の命を与えられました。この希望の道があることを、共に歩いて下さるお方がいることを、わたしたちも喜んでお伝えしようではありませんか。
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住むところがたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったではないか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻ってきて、あなたがたをわたしのもとへ迎える。こうして、わたしのいる処にあなたがたもいることになる。」