礼拝メッセージ(2023年5月21日)
『 あなたがたは、新たに生まれなければならない 』
石井努 牧師
ヨハネによる福音書 3章:1節~16節
03章 01節:さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。
03章 02節:ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」
03章 03節:イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
03章 04節:ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」
03章 05節:イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。
03章 06節:肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。
03章 07節:『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。
03章 08節:風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」
03章 09節:するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。
03章 10節:イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。
03章 11節:はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。
03章 12節:わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。
03章 13節:天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。
03章 14節:そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。
03章 15節:それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
03章 16節:神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
ヨハネによる福音書 3章:1節~16節(新共同訳)
ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。
このニコデモの質問から一つの事を学ぶことが出来るでしょう。それは、人間は自分たちの生きているこの世のことが全てであるということを基盤に物事を考えるということです。ガリラヤで伝道を始めて以来イエス様はこれまで、汚れた霊に取りつかれた男を癒したり、多くの病人を癒したり、「敵を愛しあなたがたを憎む者に親切にしなさい。」と教えてこられました。けれど彼らにはその神の国の教えが理解できなかったのです。年をとるということはわたしたちに迫ってくる。謂わば宿命のようなものですね。覚悟して、死ぬことを考えると暗くなるから考えないようにします。けれどもイエス様がくださった福音はわたしたちに全く違った見方を教えてくださっています。自分たちが死を迎えたその先は、どうなるのだろう?という復活から見える希望の道を探し見るという見方です。イエス様は前を向かせます。
わたしたち人間には、二つの姿があり、二つの誕生があります。皆さんはすでにお気づきのことと思いますが、ひとつは肉の誕生ですしもう一つは霊の誕生です。創世記の1章「神の霊が水の面を動いていた」との記述があります。「水」そうですバプテスマです。新しく生まれることは、神の贈り物・賜物であるイエス・キリストを喜んで受け入れることであって、人が自分の力で正しくなろうとする道を放棄することにほかなりません。もう一つ重要なのは、神の側の事です。それがなくては成り立たないのが主の霊です。神のなさる霊の付与が絶対条件なのです神がイエス様を遣わされたのは、世を裁くためではなく、イエス様によってこの世が救われるためなのです。16神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためであるそうおっしゃるのです。信じる者が一人も滅びない。この一人はあなたです。