礼拝メッセージ(2023年8月13日)
『 罪と赦し 』
石井努 牧師
ヨハネによる福音書 8章:1節~11節

1:ヨハネによる福音書/ 08章 01節
イエスはオリーブ山へ行かれた。

2:ヨハネによる福音書/ 08章 02節
朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。

3:ヨハネによる福音書/ 08章 03節
そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、

4:ヨハネによる福音書/ 08章 04節
イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。

5:ヨハネによる福音書/ 08章 05節
こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」

6:ヨハネによる福音書/ 08章 06節
イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。

7:ヨハネによる福音書/ 08章 07節
しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」

8:ヨハネによる福音書/ 08章 08節
そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。

9:ヨハネによる福音書/ 08章 09節
これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。

10:ヨハネによる福音書/ 08章 10節
イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」

11:ヨハネによる福音書/ 08章 11節
女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」〕

ヨハネによる福音書 8章:1節~11節(新共同訳)

 

 聖書個所の小見出しは「姦通の女」となっています。「姦通の女」明らかに罪人です。律法学者やファリサイ人たちが、姦通の時、その場で捕らえた女を引っ張ってきて、真ん中に立たせました。4イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。 5こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」

 この姦淫の女の罪は、明らかでした。現行犯ですから、言い訳もできません。律法に従うのなら当然石打の刑で、死刑です。そこで、イエス様は彼らに何か答えることもなく、また、女に何か言うでもなくただ黙っておられました。律法学者やファリサイ派の人たちの企みに既に気が付いておられたのです。モーセの律法をどう考えるのか?の問いに、もし、イエス様が「この女を赦しなさい」と言えば、「神の律法を軽んじている」と糾弾するつもりだったのです。また、「この女は石打の刑に処しなさい」と言えば、死刑はローマ帝国の持っている権限であるから、イエス様はローマ帝国を」軽んじている反逆者であると、仕立てようとしていたのです。

「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」

 「あなたがたが、まず先に裁かれなさい」「あなたがたに、この女を裁く権利があると思うのですか」「あなたがたは、自分には罪がないというほどに傲慢なのか」と言われたのだと思うのです。主イエスは、「この人は罪人だ」と告発する側に、「あなたがたも律法に違反しているのではないか」と、問うのです。神の裁きは、神の名によって語り、神の律法を守っていると言いながら、自分自身の罪に気が付いていない者から始まるのです。

 この世に生きる者たちは、誰一人この女に石を投げる資格を持ってはいません。けれど、イエス様は違います。この世に肉体をもって生きている人間の中で、唯一イエス様だけが罪のないお方なのです。その唯一のお方が、罪を赦してくださるのです。一人また一人とそこから去って行きました。イエス様だけが、最後まで姦淫の女とそこに残りました。女もまた、誰もいなくなったのに「最後まで主のもと残った」のです。罪人は、そのままで主の前にとどまるならば、本当に幸いです。わたしたちが罪の赦しを受けられるのは、この女のように最後まで主の前にとどまった時なのです。しかし、イエス様の言葉を良く聞いてみると、イエス様はこの女の罪を軽いものとして扱ったわけではありません。「わたしもあなたを罪に定めない」とは、あなたの罪に石打の刑は重すぎる。と言ったのではなく、「行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」と罪を認め反省しなさい。というものだったのです。イエス様はただ赦すだけのお方ではありません。あくまでも、悪には対峙なさるお方です。