礼拝メッセージ(2023年8月20日)
『 眠っている 』
石井努 牧師
テサロニケの信徒への手紙一 4章:13節~18節

13:テサロニケの信徒への手紙一/ 04章 13節
兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。

14:テサロニケの信徒への手紙一/ 04章 14節
イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。

15:テサロニケの信徒への手紙一/ 04章 15節
主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。

16:テサロニケの信徒への手紙一/ 04章 16節
すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、

17:テサロニケの信徒への手紙一/ 04章 17節
それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。

18:テサロニケの信徒への手紙一/ 04章 18節
ですから、今述べた言葉によって励まし合いなさい。

新共同訳聖書

 私たちは、私たちに関わりを持った、愛する方々が、神さまの恵みによって私たちのただ中にあってこの地上に生き、神さまのご愛とわたしたちの執り成しの祈りによって、すべてを主イエス・キリストに委ねられることを覚えながら、本日与えられたみ言葉に耳を傾けてまいりましょう。

 13節以下に「兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。」と書かれています。またローマの信徒への手紙の6章では、わたしたちは、バプテスマによりキリストの死に預かれるようにされ、キリストと共に葬られ、イエス・キリストに結び合わされ、それゆえにキリストの復活とも結び合わされる。と記されています。

 キリストとの一致が説かれているのです。そうであるなら、イエス様が父なる神の栄光によって死者の中から復活されたのですから、わたしたちもまたイエス・キリストと同じように復活するのです。14節を見ますと、そこにもまた「イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出して下さいます。」と書かれています。イエス・キリストの死と復活を信じるのなら、同じ事が信じた人たちの上にも確実に実現すると断言しているのです。パウロは言っています。「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです」と(ローマ14:8)。生きるにしても死ぬにしても尽きることのない喜びがある。そしてこの喜びから私たちを引き離す力を持ったものは何も存在しないのです。キリストがすべてであり、このお方に私たちはすべてを委ねて行くのです。このように語る通りです。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主イエス・キリストによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。 既に召天された方たちのご生涯は、私たちのただ中にあって、今もなお輝いています。私たちの前には依然として死が大きく乗り越えることができない壁として立ちはだかっているように見えますが、召天された方たちの生と死は、死が終わりではないということを証ししています。死は究極的なものではない。キリストの復活の生命こそが究極的なものであり、死はそれに至るための一つの通過点にしかすぎないと確信するのです。 だからこそ、今日を生きるのです、自分の永遠の人生を豊かなものにするために。今を生きているその上にこそ未来の人生もあるのですから。