礼拝メッセージ(2023年8月6日)
『 神の恵みの中に生きる 』
K執事
コリントの信徒への手紙一 3章:1節~17節
03章 01節
兄弟たち、わたしはあなたがたには、霊の人に対するように語ることができず、肉の人、つまり、キリストとの関係では乳飲み子である人々に対するように語りました。03章 02節
わたしはあなたがたに乳を飲ませて、固い食物は与えませんでした。まだ固い物を口にすることができなかったからです。いや、今でもできません。03章 03節
相変わらず肉の人だからです。お互いの間にねたみや争いが絶えない以上、あなたがたは肉の人であり、ただの人として歩んでいる、ということになりはしませんか。03章 04節
ある人が「わたしはパウロにつく」と言い、他の人が「わたしはアポロに」などと言っているとすれば、あなたがたは、ただの人にすぎないではありませんか。03章 05節
アポロとは何者か。また、パウロとは何者か。この二人は、あなたがたを信仰に導くためにそれぞれ主がお与えになった分に応じて仕えた者です。03章 06節
わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。03章 07節
ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。03章 08節
植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。03章 09節
わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。03章 10節
わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。03章 11節
イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。03章 12節
この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てる場合、03章 13節
おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれは明らかにされるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを吟味するからです。03章 14節
だれかがその土台の上に建てた仕事が残れば、その人は報いを受けますが、03章 15節
燃え尽きてしまえば、損害を受けます。ただ、その人は、火の中をくぐり抜けて来た者のように、救われます。03章 16節
あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。03章 17節
コリントの信徒への手紙一 3章:1節~17節(新共同訳)
神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。
成長には種を植え、水を注ぐ必要がある。豊かな実をつける為には手入れも必要。しかし 大切なのは植える者でも水を注ぐものでもないと聖書は語る。「なにより大切なのは成長 させてくださる神である」神抜きにして成長なし。万物の創造主である神の圧倒的な支配 を聖書は語る。
「成長」の対象となるのは信仰。聖書の語る成長とは、信仰の基本に繰り返し立ち返ると いうこと。信仰の基本とは主を賛美し、祈り、この身を捧げ、悔い改めに導かれ、安息日 の礼拝の招きに応答すること。そこに、立ち返るべき信仰の基本がある。
私は神からいただいた恵みによつて、熟練した建築家のように土台を据えました。土台それは十字架と復活の主イエスキリスト。土台さえ間違っていなければ一人ひとり違っていて良い。不十分でも構わない。金、銀、宝石、本、草、わらで家を建てる場合、わらがだめで金が良いという比較の話ではない。イエスキリストの上台の上に建てた仕事は必ず残る。仕事の報いを受けるとは信仰を捨てずに、諦めずにキリストを上台としてよくやつた という神の愛。仕事が残るとは、主に結ばれているならば私たちの苦労は決して無駄にな らない、全てを益に変えてくださるという神の保証。
キリストを土台としない生き方は砂の上に家を建てるようなもの。雨が降り、川が溢れ、 風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどい。
キリストを土台とした歩みは、たとえ嘆き悲しみ、悲嘆に暮れるようなことがあったとし ても、絶望し倒れることはない。神の恵みに生きるならば、神の支えと配慮が必ずある。 私たちは神の畑、神の建物そして神の神殿。物や場所といった概念ではなく、キリストの 平安に与る存在。キリストに在る平安は私たちを生かす。神のために力を合わせ共に働く 者へと導かれる。生まれた環境も考え方も違う一人ひとり。その違いさえお互い喜びあい、 共に力合わせ教会を建て上げよと命じられる。
「大切なのは成長させてくださる神です。」 ここで言う「成長」には2つの意味がある。 1つは「個人の成長」そしてもう一つは「教会の成長」。 個人の信仰を建て上げ、教会を建て上げる業は現在進行形の継続の出来事。私達の信仰も 太田教会も常に成長の途上にある 太田教会につながる一人として教会形成の働きを担いあいたい。神の恵みに生きる応答と して、礼拝を大切にし、主にある平安を喜びあいながら歩んでいく。 神はあなたを必要とされておられます。神はあなたを豊かに用いようとされておられます。