礼拝メッセージ(2024年2月11日)
『 命に生きる 』
石井努 牧師
ヨハネによる福音書 17章:1節~8章

1:ヨハネによる福音書/ 17章 01節
イエスはこれらのことを話してから、天を仰いで言われた。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すようになるために、子に栄光を与えてください。
2:ヨハネによる福音書/ 17章 02節
あなたは子にすべての人を支配する権能をお与えになりました。そのために、子はあなたからゆだねられた人すべてに、永遠の命を与えることができるのです。
3:ヨハネによる福音書/ 17章 03節
永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。
4:ヨハネによる福音書/ 17章 04節
わたしは、行うようにとあなたが与えてくださった業を成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。
5:ヨハネによる福音書/ 17章 05節
父よ、今、御前でわたしに栄光を与えてください。世界が造られる前に、わたしがみもとで持っていたあの栄光を。
6:ヨハネによる福音書/ 17章 06節
世から選び出してわたしに与えてくださった人々に、わたしは御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、あなたはわたしに与えてくださいました。彼らは、御言葉を守りました。
7:ヨハネによる福音書/ 17章 07節
わたしに与えてくださったものはみな、あなたからのものであることを、今、彼らは知っています。
8:ヨハネによる福音書/ 17章 08節
なぜなら、わたしはあなたから受けた言葉を彼らに伝え、彼らはそれを受け入れて、わたしがみもとから出て来たことを本当に知り、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じたからです。

ヨハネによる福音書 17章:1節~8章(新共同訳聖書)

      

 イエス・キリストが人の姿を取られた目的は、わたしたちが神の愛を知るため。み言葉をこの世に残されるためです。そして最大の目的は、十字架に架かり、その血を流し、罪の贖いを完成するためでした。わたしたちが受けなければならない裁きを身代わりとなって受けるために、神という立場をお捨てになられ、人として生まれなければならなかったのです。救い主イエス・キリストは父と同じ権威と栄光を持っておられたのですが、人を救うためにそれを捨てられたのです。パウロは言います。 9このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。10 こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、11すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」(フィリピ2:9~11)今日のみ言葉の5節で、今、御前でわたしに栄光を与えてください。とイエス様がお祈りしたのはこのためです。


 ここで、イエス様が祈っておられるのは、弟子たちを通して福音が語られることでありますが、わたしたちにとっての鍵は3節にあります。永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。 (ヨハネ17:3)とあるように、わたしたちは主イエス・キリストのご生涯と十字架によって、神を知り、その愛を知りました。いつも神の言葉を聞き、神に向かって語りかけることを喜ぶ、そういう人格的な交わりによって、神が私たちにとってかけがえのない方となることなのです。イエス様が「御前でわたしに栄光を与えてください。」と祈る栄光は、父なる神と同じ権威をもって「あなたからゆだねられた人すべてに、永遠の命を与えることができるのです。」と祈ったように、信じるわたしたちに「永遠の命」を与える事であったのです。


 日々の祈りの中で、みことばを読み進める中で、主イエス・キリストがどのように自分に関わってくださったかを知ります。イエス様を通して、天の父を仰ぎ見て、御前にひれ伏します。そうした行為が、まさに永遠のいのちなのです。自分の世界で生きるのではなく、神とキリストの世界で生きること、それが永遠のいのちです。神と共に生きる命の世界はこの世から神の国へと続くのです。イエス様がこの世に現わしたと祈った神の栄光は、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえる事。すなわち永遠の命を受けることなのです。