礼拝メッセージ(2025年10月12日)「祈りが神に届いた」ヨナ書2章1~11節

神に助けられたヨナ

先週に続いてヨナ書を読んでいます。預言者であるヨナは、神様から敵国の都ニネベに行って、神の言葉を告げるように命じられました。しかしヨナはニネベとは反対方向の町に逃げるため、船に乗り込みました。船が出航すると、まもなく海は大荒れになりました。その原因がヨナにあることがわかったため、ヨナは海へと放り込まれてしまいました。祈りもせず、何の抵抗もしないヨナは、神様から逃げられず、もうだめだと諦めていたようにも見えました。

一方で、神様はヨナのことを諦めてはいませんでした。神様に逆らい、背を向け、神様からも、自分の役目からも逃げ出したヨナですが、神様は彼のことを諦めなかった。海に放り込まれ、絶体絶命となったヨナを助けるために、神様は思いもよらないことを起こされました。それは、巨大な魚に命じて、ヨナを吞み込ませる、ということでした。

ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいました。その魚がどんな魚であるかはわかりません。どうやって魚の中で生きられたのか、ということもわかりません。わかることは、それは人の手によるものではなく、神様の御業であったということ。追い詰められたヨナを助けることが、神様の御心であった、ということだけであり、そのことが大事なことなのでしょう。

ヨナは、自分を海に投げ込んだのは神様であったと思っていました。自分が神様に背を向け、神様から逃げようとしたために、その罪を裁かれているのだ、と。そして自分は神様の御前から追放され、光を失い、真っ暗な海の底まで沈んで滅びるしかないのだ、と。

ただ、その時になって、ようやくヨナは祈りました。溺れながら主に向かって叫びました。船の上では頑なに祈らず、叫ぼうともしなかったヨナが、海の底で主に向かって祈り、叫びました。何と祈ったのかはわかりません。水の中では声にもならなかったでしょう。それでも彼はどん底に沈みゆく中で、わずかな希望をもって、もしかしたら後悔も抱きながら、「主よ」と祈り叫んだ。声にもならないその祈りが、その叫びが、神様に届きました。

巨大な魚に呑み込まれ、一命を取り留めたヨナは、魚の腹の中から感謝の祈りをささげました。
「苦難の中で、わたしが叫ぶと/主は答えてくださった。
陰府の底から、助けを求めると/わたしの声を聞いてくださった。」(ヨナ書2章3節)

「しかし、わが神、主よ/あなたは命を滅びの穴から引き上げてくださった。
息絶えようとするとき/わたしは主の御名を唱えた。
わたしの祈りがあなたに届き/聖なる神殿に達した。」(ヨナ書2章7~8節)

魚の腹の中は、暗く、狭く、息苦しかったかもしれません。それでもヨナは神様の御業を経験したことで、神様は苦難の中から助けを求める叫びに答えてくださる方であることを確信しました。それは先祖たちが何度も経験してきたことでした。3日が過ぎたとき、魚はヨナを陸地に吐き出しました。神様から逃げ出し、海に呑み込まれたヨナは、神様によって助けられたのです。

ジョン・ニュートンの場合

ヨナの物語を読みながら、“Amaging Grace”の作詞者であるジョン・ニュートンのことが思い浮かびました。後に牧師になるジョン・ニュートンですが、青年期まではいろいろと問題を起こしてきた人物だったようです。注1

ジョンの父親は貿易商をしていて、ジョンも父親の船に乗っていました。ジョンが17歳のときに、父親はジョンのためにジャマイカにあるプランテーションの監督の仕事を手配しました。ところがジョンは母親のいとこの家で出会った3歳年下のメアリーに一目ぼれし、3週間も彼女の家に居座りました。その間に彼が乗るはずだったジャマイカ行きの船は出発してしまいました。

商船の水夫として働きだしたジョンは、19歳のときに海軍の水平として強制連行されてしまいます。父親の助けによって、彼は少尉候補生という身分にしてもらいましたが、長くイギリスから離れ、メアリーに会えなくなることを嫌がり、彼は海軍から脱走してしました。すぐに捕まったジョンは階級を最低ランクまで格下げされてしまいました。

ジョンが21歳のとき、彼はギニア商船の使用人になりました。彼はシエラレオネで、アフリカ南部から集められた黒人を奴隷として船に乗せる作業を任せられました。ところがジョンは、根拠のない疑いによって商船のオーナーの信頼を失い、現地の女性有力者にも嫌われたため、黒人たちが収容されたシェルターに押し込められたり、甲板の上に拘束されたり、食事もろくに与えられなかったりと、ひどい目にあいました。

そこで彼は父親に助けを求め、グレイハウンド号という船に乗って帰ることになりました。イギリスに向けて出航してから2カ月が過ぎたとき、激しい西風が猛威を振るい始めました。船は激しく揺れ、損傷し、波にさらわれて海へと投げ出される人もいました。船員たちは必死になって海水を外へ汲みだしますが、壊れた箇所から次々に海水が流れ込んできました。

明け方になり、ようやく風が収まってきましたが、波はまだ荒れています。ジョンは船長に呼ばれ、船の舵を任されました。これまでの人生を振り返りながら、彼は思いました。

「沈み行かんとする船の上で、自分たちが助かるとすれば、もはや神の奇跡以外にはありえない。しかし僕のように罪深き人間を、神様はきっと許してはくれないだろう。」

ジョンの母親は経験なクリスチャンでしたが、このころのジョンは神を信じておらず、神を信じる周りの人たちをあざ笑っていたのです。

何時間も経った後、ようやく漏水は収まり、揺れも穏やかになってきました。真っ暗な雲の隙間から差し込んできた光が、グレイハウンド号を明るく照らしていました。その後も食料難などの問題がありましたが、グレイハウンド号は奇跡的にアイルランドの港にたどり着き、ジョンは生還することができました。22歳のジョンはこうつぶやきました。

「私には分かる。祈りを聞き届けてくださる神は存在すると。私はもはや以前のような不信な者ではない。私はこれまでの不敬を断ち切ることを心から誓う。私は神の慈悲に触れ、今までの自分の愚かな行動を心から反省している。私は生まれ変わったのだ。」

その後のジョンは、航海士としての経験を重ね、メアリーと結婚し、船長としての航海も成功させます。そしてイングランドのオルニー教会の牧師になりました。Amaging Graceは、彼の親友の詩人ウィリアム・クーパーと共に書き上げ、彼が54歳のときに発表されました。晩年、彼はこんな言葉を残しています。

「薄れかける私の記憶の中で、二つだけ確かに覚えているものがある。
一つは、私がおろかな罪人であること。もう一つは、キリストが偉大なる救い主であること。」

Amaging Grace

1.
Amazing Grace! How sweet the sound! That saved a wretch like me!
I once was lost, but now I am found; Was blind, but now I see.

驚くべき恵み――なんと甘い響きだろう。 この私のような惨めな者を救ってくださった。

かつて私は迷い、今は見いだされた。 盲目であったが、今は見える。

2.
‘Twas Grace that taught my heart to fear, And Grace my fears relieved;
How precious did that Grace appear! The hour I first believed.

恵みが私の心に畏れを教え、 恵みが私の恐れを取り除いた。
その恵みがどれほど尊く見えたことか。 初めて信じたその時。

3.
Through many dangers, toils and snares. We have already come;
‘Twas Grace that brought us safe thus far, And Grace will lead us home.

数多くの危険と苦労と罠を越えて、 私たちはここまでたどり着いた。
ここまで守ってくれたのは恵み、 そして恵みが私たちを天の家へ導くだろう。

4.
When we’ve been here ten thousand years. Bright shining as the sun.
We’ve no less days to sing God’s praise.  Then when we’ve first begun.
私たちがそこに一万年いても、 太陽のように輝きながら、
神を讃える日々は少しも減らない。 歌いはじめたその日と同じように。

祈りは神に届く

ヨナも、ジョン・ニュートンも、自分が罪人であること、神様に背を向けてきたことに気づかされました。それにも関わらず、神様が私を助け、救ってくださった、ということも知りました。神様はただ人間よりも力があるというわけではない。人には考えつかないようなこと、神様を裏切った者をも愛し、助けてくださる方である、ということを知ったのです。

晩年のジョンの言葉は、ヨナの告白とも通じています。

「わたしは感謝の声をあげ/いけにえをささげて、誓ったことを果たそう。救いは、主にこそある。」(ヨナ書2章10節)

「薄れかける私の記憶の中で、二つだけ確かに覚えているものがある。
一つは、私がおろかな罪人であること。もう一つは、キリストが偉大なる救い主であること。」(ジョン・ニュートン)

キリストは偉大な救い主であり、救いは主にこそある。その告白が何千年も受け継がれてきました。数えきれないほど多くの人たちが、祈りが神に届いた、ということを経験し、神様への信仰告白へと導かれてきたのです。

苦難の中から叫ぶ声、深い闇の中から祈る声は、神様に届きます。どうしようもないと思えるような苦しみの時にも、自分の罪がそこにあったとしても、神はその声を聞き取ってくださる。神は苦難の中でも、深い闇の中でも、私たちのすぐ傍におられ、いつも私たちと共にいてくださるからです。

神様からの助け、救いの御業は、いつ、どのように起こされるのか、それは私たちにはわかりません。ヨナには巨大きな魚が送られ、三日三晩その腹の中にいた後に、光の当たる陸へと戻されました。ジョンが神様に背を向けて過ごした期間はヨナよりもずっと長く、様々な苦労を経験し、何度も人の信頼を裏切り、他者の尊厳を踏みにじることにも加担しました。それでも嵐を生き延びさせられ、新しく生まれ変わった人生を歩み始めました。

祈りも、叫びも、神に届く。聖書から教えられるその神様の約束を信じながら、与えられた生命、与えられた人生を精一杯、生きていきたいと思います。主イエスが共にいてくださることに励まされ、また慰められながら、祈り合い、支え合いながら、私たちにできる主への応答をしながら歩んでまいりましょう。

牧師 杉山望

※このホームページ内の聖句は すべて『聖書 新共同訳』(c)日本聖書協会 から引用しています。
 (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation
 (c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

参考書籍・サイト

『現代聖書注解 ホセア書―ミカ書』J.リンバーグ、日本基督教団出版局、1992年

注1)世界の民謡・童謡「ジョン・ニュートンの人生・伝記」https://www.worldfolksong.com/songbook/usa/john-newton.html 2025年10月11日

AndyによるPixabayからの画像