礼拝メッセージ(2025年6月1日)「恵みとして与えられていること」フィリピの信徒への手紙1:12~30
教会の歴史の中の恵み
執事会で相談して、本日の礼拝を太田教会の「開所記念礼拝」としました。2009年6月7日に、前橋教会の伝道所としての第1回の礼拝が、この会堂で献げられ、開所日が2009年6月1日とされました。開所日は2009年ですが、群馬県東部での伝道は、それ以前から行われてきていました。
「伝道開始10周年記念誌」にはと、2009年以前の活動として、整骨院の2階で行われていた太田地区礼拝の写真と、新田文化会館エアリス多目的ホールを会場として行われた「泉堅ライブ」の写真が掲載されています。伝道所開所に先立って、2007年5月27日から、Nさんのお兄さんのご厚意によって整骨院の2階を会場として貸していただき、東部地区礼拝が始まりました。その一年後には、会場をエアリスの多目的ホールに移して、月1回の礼拝が行われてきました。
記念誌の中のMさんの証しを読みますと、そこからさらに遡って、Sさんご夫妻のお宅で家庭集会が行われてきたことがわかります。後に地区集会と名称変更されたようですが、この家庭集会の参加者から6名の方がバプテスマを受けられました。このような伝道活動があり、その背後に聖霊の導きがあり、母教会である前橋教会から13名が派遣され、太田伝道所の開所へと実を結んでいきました。
2018年に行われた「林健一牧師 就任按手式」の冊子の中には、「日本バプテスト太田キリスト教会ビジョン」が掲載されています。その中で、私たちの教会のことが次のように証しされています。
「私たちの教会は、『あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子 と聖霊の名によって洗礼(バプテスマ)を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』(マタイ28:19-20)との大宣教命令に促され、隣人と出会い、また、そこで『主が共にいる』という福音を分かち合いたいと願っています。
教会内では開所当初より、毎年度『年間主題・聖句・賛美歌』を掲げ、その内容に沿った活動を実践し、礼拝、祈り会、教会学校を基本に教会形成に励んできました。対外伝道活動では、年2回、春・秋の特別伝道集会、ゲスト礼拝、クリスマス燭火礼拝、イースター記念礼拝が定着しています。特に、近年は秋に開催しているバザーやチャペルコンサートで多くの来会者が得られています。近隣の方々と出会い、教会の存在を知っていただける活動に力点を置き、数名の方が礼拝へと導かれております。」
伝道所の開所から16年が経ちました。ここには書ききれない出来事がそこにはあったことでしょう。この地だからこそ与えられた出会いがあったのではないでしょうか。礼拝・祈祷会・教会学校で共に讃美し、祈り、御言葉を学んでこられたことでしょう。後から教会のメンバーに加わった人もいますし、新しく生まれた生命もあります。
これまでの太田教会の歴史の中に、私たちはいくつの恵みを数えることができるでしょうか。そこに献げられてきた奉仕があり、献金があり、祈りがありました。何より先立って進み、かついつも伴ってくださった主がおられました。与えられた恵みはどれほどのものだったか、思い起こす時としたいと思います。
喜びを取り戻してほしい
フィリピの信徒への手紙は、パウロが監禁されていたときに書かれました。パウロとフィリピの信徒たちはとても信頼し合っており、フィリピの信徒はパウロを物心両面で支え、パウロもフィリピの人々のことを思い起こす度に神に感謝し、喜びをもって祈っていました。
この手紙では「喜び」という言葉が頻繁に現れるため、「喜びの手紙」とも呼ばれています。パウロとフィリピの信徒たちは、喜びを共有していたのでしょう。しかしこのときは、単純に喜べるような状況ではありませんでした。パウロは監禁され、自由を奪われていました。フィリピの教会も、1章28節にあるように、「反対者たちに脅されて」いたようです。フィリピの信徒たちは、自分たちが負っている困難に加えて、パウロが監禁されていることで、喜びを見失っていました。
そこでパウロは、フィリピの信徒たちが喜びを取り戻せるように、この手紙を送りました。パウロは、自分は監禁されているけれど、喜びは奪われていない、と伝えたのです。なぜなら、パウロが監禁されたことによって、ローマの兵隊たちの間にもキリストのことが知れ渡ったし、その土地の教会の人々もパウロの姿に励まされて、ますます勇敢に御言葉を語るようになったからです。さらには、パウロのことをライバル視している人々が、ねたみや競争心から、パウロを出し抜こうとしてキリストをさらに伝えようとしていました。このようなことを、パウロは喜ぶというのです。
もちろん、監禁され、自由を奪われ、命さえ危険に晒されていることだけでは、喜べるものではありません。パウロを出し抜こうとする不純な動機も褒められたものではありません。それでも、結果的にイエスのことが宣べ伝えられ、より多くの人に知られるようになり、キリストの福音によって救われる人が増えていくなら、そのことはパウロにとって喜びでした。その喜びを、パウロはフィリピの信徒たちにも分かち合ってほしかったのです。
それだけを見れば苦しみでしかないことでも、それに伴って起きている事柄にも目を向けると、そこには恵みがあり、パウロは喜びを見いだすことができました。思っていたものとは違っても、それはパウロが切に願い、望んでいたことが実現していくものだったからです。苦しみの出来事と共に与えられている恵みに気づき、喜びを取り戻してほしい、というのが、パウロの想いだったのでしょう。
恵みとして与えられていること
先ほど、教会の歴史を振り返り、恵みを思い起こそうとしました。しかし、教会の歴史には、喜びばかりではなく、苦しみや困難、悲しみや痛みもあるのが当たり前です。教会の歴史を共に担ってきたそれぞれの歩みも振り返れば、色んな苦しみがあったし、今もありうるし、これからもあるかもしれません。
そのような中でも、私たちはパウロのように喜ぶことができるのではないでしょうか。苦しみも伴う歩みの中に、神様の恵みがあることを見つけ出すことができるのではないでしょうか。恵みは必ずしも、苦しみのないところにあるのではありません。イエス・キリストも苦しまれたのです。苦しみのあるところには、常に主イエスがおられます。苦しみがあるところにも、恵みは必ずあるでしょう。
「つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。」(フィリピの信徒への手紙1章29節)
ここでは、どんな苦しみもそれだけで恵みである、と言われているのではありません。「キリストのために苦しむこと」も恵みである、と言われています。「キリストのため」ということが大切です。
私は大学を卒業した後、小さな企業で働いていたことがあります。2年目の秋、先輩が休職してしまいました。社員が5名ほどの会社だったので、仕事が終わらなくなり、連日夜中まで働き、家には帰って寝るだけの日々が続きました。何のためにこんな苦労をしているのかわからず、精神も荒れていたことを思い出します。
牧師になってからも、忙しい時というのはあります。夜中に仕事をすることも珍しくありません。疲れることもあります。でも、目的がわからなくなる、ということはありません。キリストのために、またキリストが愛された人々のために、と思えるから、それもまた恵みとして受け取ることができます。
キリストのために苦しむこと、それは主イエスの跡に従って歩み、主の御心がなされるために仕えることでしょう。キリストのために苦しむこと、それは神の愛に応え、主を信じ、主に委ね、主に自分を献げる生き方でもあるでしょう。キリストのために苦しむこと、それは主が愛された人々を――すべての人々を――私の隣人として受け止め、私も隣人を愛して歩もうとすることでしょう。その歩みの中に、その人生の中に、苦しみが訪れることはあります。しかしそこには主が共におられて、共に歩んでおられることも見いだすでしょう。
それが、主から私たちに恵みとして与えられていることだと思うのです。
牧師 杉山望
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