礼拝メッセージ(2026年4月5日)「主イエスは先に行っておられる」マルコによる福音書16章1~8節

想像を超えた出来事

本日はイースターです。イースターとは、十字架につけられて死んだイエス・キリストが、3日目に復活なさったことを祝う日です。イエス様が息を引き取ったのは金曜日の午後3時ごろでした。その日の日没から「安息日」が始まり、労働と見なされることはできなくなります。そこで日が沈むまでにイエス様の遺体は引き取られ、岩を掘って作った墓の中に納められました。墓の入り口は大きな石で塞がれました。

この様子をずっと見守っていたのは、マグダラのマリアなどの数人の女性たちでした。彼女たちはガリラヤ地方からずっとイエス様に従ってきました。身の回りの世話をしたり、イエス様のお話を聞いたり、イエス様が起こされる奇跡を間近で見たりもしたことでしょう。

彼女たちにとって、イエス様が十字架で処刑されたことは、言葉には言い表せないほど辛いことだったでしょう。だから彼女たちは、せめてイエス様を丁重に葬りたいと思いました。しかし、イエス様が息を引き取ってから安息日が始まる日没まで、時間がなかったために、遺体に塗るための香油を準備することもできませんでした。

そこでマグダラのマリアたちは、安息日が終わった土曜日の夜には香油を買いに行き、夜が明けた日曜日の朝、日の出と共にイエス様の墓へと向かいました。一刻も早く遺体に香油を塗って差し上げたい。そんな思いから、まだ薄暗い道を急ぎ足で進んで行きました。

ただ一つ、心配事がありました。墓は大きな石で塞がれています。とてもマリアたちだけでは動かせそうにありません。男性の弟子たちは、イエス様の処刑に怖気づいて、外には出られなくなっていました。墓の中に入れる保証もないままに、居ても立ってもいられないマリアたちは、イエス様の墓へと向かっていました。

ようやくイエス様の墓が見えてきました。するとどうでしょう、何とあの入り口を塞いでいた大きな石が、既にわきへと転がされていました。マリアたちの心配は、驚きに変わりました。恐る恐る墓の中に入ってみると、そこには白い長い衣を着た若者が座っていたので、さらに驚かされました。その若者は天使であり、イエス様は墓の中にはおらず、復活させられたのだ、とマリアたちに告げました。

マリアたちはイエス様が復活させられることなど想像もしていませんでした。墓に納められたイエス様の遺体に香油を塗るために来たのです。ところがそこでは全く予想外のことが起こっていました。大きな石を転がしたことも、天使を遣わしたことも、そしてイエス様を復活させたことも、すべては神様の御業でした。

でも、あまりにも突然のことに、マリアたちは訳が分からなくなり、そんな場面に立ち会ってしまったことに震え上がるほど恐ろしくなり、その場から逃げ出してしまいました。彼女たちが願うことは、せいぜい大きな石を転がしてもらうことだけだったかもしれません。けれども神様がなさることは、人の想像をはるかに超える出来事だったのです。

復活されたイエス様と出会う場所

墓の中で、天使はマグダラのマリアたちにこのようなことを告げていました。

「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」(マルコによる福音書16章6~7節)

復活なさったイエス様は、あなたたちより先にガリラヤへ行かれる、と天使は告げました。ガリラヤという地域は、マリアたちにとっても、ペトロなどの十二弟子にとっても、そこで生まれ、育ち、生活をしてきた場所、家族も親戚も友人も仲間もいる場所です。そして何より、イエス様と出会い、イエス様と共に歩み、イエス様の御言葉を聞き、御業を見た場所です。

つまり、イエス様と再会するために特別な場所へ行く必要はない、ということです。神殿の聖所でも、聖地エルサレムでもない、もちろんはるか遠くの天の上でもない。イエス様はあなたが生きてきた場所、生活しているその場所で出会うことができます。そこに復活なさったイエス様がおられるからです。

そのガリラヤにはどんな思い出が詰まっているでしょうか。楽しいことや嬉しいこと、幸せな出来事もあったでしょう。しかし当時のガリラヤには、金銭的な苦しさもあれば、病気や障害の痛みもあり、またそのことへの偏見や差別による重荷や突然の暴力に襲われる恐怖もありました。長く生きられる方が珍しく、家族や友人を失った悲しみも抱いていたことでしょう。

イエス様はそのようなガリラヤで生きられ、そこでマリアや他の女性たち、またペトロたちにも出会いました。苦しみや痛み、重荷や恐怖、悲しみを抱えて生きる人たちと出会い、その人に触れ、慰め、励まし、癒し、教えておられました。それは神様が私たちになそうとしておられたことでした。

復活されたイエス様は、そのようなガリラヤへ先に行かれます。マリアたちが戻っていく場所、そこで生きていく場所、喜びもあるけれど、悲しみもあり、幸せもあるけれど、苦しむこともある場所。そこには既にイエス様が行っておられるのです。

私たちが復活されたイエス様と出会うことの出来る場所。それは特別な場所ではなく、私たちが生きる場所です。そこがどこであっても、イエス様は先に行っておられます。私たちの喜びも、幸せも、悲しみも、苦しみも、共に担い、受け止めてくださる。それがいつまでも変わらないイエス様なのです。

希望があることを告げる復活

しかし、私たちが出会うことのできるイエス様は、「十字架につけられた」方です。イエス様の教えを拒絶して、イエス様をこの世から葬り去るために十字架につけた者たちがいました。イエス様に従いながら、イエス様を信じ切れずに裏切り、逃げ出した者たちもいました。それは私たちの姿を映し出す鏡でもあります。

イエス様は、神を愛し、自分を愛するように隣人を愛することを教え、実践されました。イエス様が宣べ伝えた神の国は、イエス様によって愛されたように、互いに愛し合うことが実現するところに現れました。神の国が完成するときには、すべての人が――あるいは人だけでなくすべての被造物が――互いに愛し合うようになるのかもしれません。

しかし私たちは自分の罪を知っています。愛することを教えられながら愛せない自分。自分を愛せなかったり、隣人を愛せなかったり、神を愛せなかったりする自分を知っています。そのような罪が傲慢さや貪欲さを生み、暴走していったときに、どんなことを引き起こしてしまうのか、ということを私たちは見せつけられています。

今、圧倒的な軍事力を持った国々が、神の名を利用し、聖書を用いながら、自分たちが始めた戦争を正当化しています。何千、何万という人々の命が奪われ、町が廃墟に変えられています。その攻撃は大気や土壌、水も汚染し、影響は長く残り、人間だけに限らず多くの生き物に及びます。その戦争による混乱は世界に広がり、力を持っていない人から追い込まれていきます。

混乱は軍事的な面だけでなく、経済活動によっても引き起こされています。過剰な富を持った者たちが、無限の成長を追い求めるこの世界では、人の命も、他の生き物の存在も、地球の環境も、何の価値もないかのように扱われてしまいます。それによって引き起こされた気候変動や生態系の破壊は、私たちの生活をも脅かしつつあります。

イエス様は、人間の傲慢で貪欲な生き方を指示するために十字架で死なれたのではありません。十字架の死は、私たちをそのような罪から引き離すためであり、復活は主イエスと共に新しく生きるためなのです。

「キリストと結ばれた人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」(コリントの信徒への手紙二 5章17節)

イエス様の十字架と復活は、罪を贖い、新しい生命を約束します。どうしようもなく見える状況でも、それが終わりではありません。死でさえも終わりではなかったのです。復活は、今なお希望があること、神様が新しいことを起こされるを告げています。

約束の讃美歌

マグダラのマリアたちがイエス様の復活を知らされたのに、それが理解できずに恐れて逃げ出してしまったことも、無理はないように思えます。聖書を通してイースターの出来事を知る私たちにも、復活の全てを知り、理解することは到底できそうにありません。

でも大事なのは、理解することではなくて、神様を信頼することなのかもしれません。イースターの出来事と関連した讃美歌に、『球根の中には』というものがあります。この曲はナタリー・スリースさんが、メソジスト教会の牧師であった夫が癌の告知を受けたときに、夫のために作った讃美歌なのだそうです。

元の英語の歌詞を訳したものを読みながら、私たちには完全には知り得ない秘められた約束、希望、永遠に思いをはせたいと思います。

第1節

 球根の中には 花が眠り 種の中には 林檎の木が隠れている

 繭(まゆ)の中には 秘められた約束 やがて蝶は 自由へと羽ばたく

 凍てつく冬の雪の下 春は静かに 出番を待っている

 その時が来るまで 明かされることのない ただ神のみぞ知る 命の輝き

第2節

 あらゆる沈黙の中に 歌があり 言葉と旋律を 探し求めている

 あらゆる暗闇の中に 夜明けがあり あなたと私に 希望を運んでくる

 過ぎ去った日々から 未来は生まれ その行く末は 誰にも分からない神秘

 その時が来るまで 明かされることのない ただ神のみぞ知る 命の輝き

第3節

 私たちの終わりは 始まりであり 限られた時間の中に 永遠が宿る

 疑いの中には 信じる心が この命の中には 朽ちぬ命がある

 死の中には 復活があり 最後には 勝利が待っている

 その時が来るまで 明かされることのない ただ神のみぞ知る 命の輝き

(In the Bulb There is a Flower / Hymn of Promise / Natalie Sleeth , 1930-1992)

牧師 杉山望

※このホームページ内の聖句は すべて『聖書 新共同訳』(c)日本聖書協会 から引用しています。

 (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation

 (c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

参考書籍・サイト

『現代聖書注解 マルコによる福音書』L.ウィリアムソン、日本基督教団出版局、1987年

『新共同訳 新約聖書略解』山内眞監修、日本基督教団出版局、2000年

『荊冠の神学』栗林輝夫、新教出版局、1991年

Arnie BraggによるPixabayからの画像