5/22(金) 復讐の思いを捨てて
使徒言行録7章54節~8章1節前半 聖書協会本文検索
本日の箇所はステファノがユダヤ人たちに殺害される場面が描かれています。憎しみを受けて人生を終えなければならないことに私たちは「神さま、なぜあなたはこのことをお許しになるのですか?」と問います。しかし、深くこの箇所を黙想するときに神さまは決してお許しになってはいないことを知りたいと思います。
ステファノが天を見つめたときに神さまの栄光と神さまの右に立っておられるイエスさまが見えました。神さまは最初からずっと見ておられたのです。神さまご自身がステファノの痛みと苦しむ姿をご自分も苦しみ、痛んでおられたのです。神さまは私たちの苦しみと共におられる方です。
なぜ、ステファノがそうされるのを許されていたのか?神さまのお心は私たちにもわかりません。けれどもステファノを殺害した人たちの一人が後に伝道者パウロであることに不思議をおぼえます。「私たちは正しい、悪いのはあちらのほうだ」。そうでしょうか?私たちは危うい存在です。正しいと思える側にも立つし、悪と思える側にも立ちます。神さまはそういう私たちをよく知っておられる。そういう私たちを救われるためにずっと忍耐してきたのではないでしょうか。