礼拝メッセージ(2021年12月19日)
『 目を覚ましている僕(しもべ) 』
林健一 牧師
ルカによる福音書 12章:35節~40節
12章 35節:「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。
12章 36節:主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。
12章 37節:主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。
12章 38節:主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。
12章 39節:このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。
12章 40節:あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」
ルカによる福音書 12章:35節~40節(新共同訳)
本日は、イエスさまがたとえを交えながらお話しされています。40節で「人の子は思いがけない時に来るからである」とおっしゃっています。この「人の子」というのがイエス・キリストのことを言っているのであり、すなわちこれがキリストの再臨のことをおっしゃっているわけです。そのキリストの再臨の時を、どのようにして迎えたら良いのか、ということをお話しなさっているのが今日の個所です。それでイエスさまが、「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい」とおっしゃっています。
「主人が婚宴から帰ってきて戸をたたく時」に、と言われています。当時の婚宴というのは、今日の結婚式と披露宴のように、数時間で終わって帰ってくるというものではありませんでした。何日も続きました。ですから、いつ何時に家に帰ってくるかということは、しもべには分からないことでした。主人がいつ帰ってくるか分からないから目を覚ましていなさい、腰に帯を締めてともし火をともしていなさい、ご主人様が帰ってきた時にすぐに迎えることができるようにしておきなさい、と言われます。
このたとえ話は、一体何を言おうとなさっているのでしょうか?「目を覚ましているのを見られる僕(しもべ)たちは幸いだ」と言われます。すなわち、イエスさまがふたたびこの世においでになる時に、目を覚ましてイエスさまを迎える準備がしてあるということです。では、目を覚まして腰に帯を締め、ともし火をともしてイエスさまを迎える準備をしてあるとは、どのようなことを言うのでしょうか?
イエスさまの弟子たちのことを思い出します。イエスさまの弟子たちは、イエスさまが十字架にかけられるために捕らえられた時、皆イエスさまを見捨てて逃げて行きました。弟子たちは自分たちの弱さ、罪深さを知りました。「こんなどうしようもない私を、どうか救ってください」そのように言うことしかできない自分があります。しかしそのように言うことしかできない私たちを、イエスさまは迎え入れてくださる。こんな罪人の私たちをも、赦し、天の国へ迎え入れて下さるイエスさまがおられる。いつでもこの主イエス・キリストにすがることができる、心からすがることができる。それゆえ、今、キリストが再臨されても良い。このことが、主人であるイエスさまが来られる準備ができていると言えます。