礼拝メッセージ(2021年12月12日)

『 小さな群れよ、恐れるな 』  林健一 牧師

12章 32節:小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。

12章 33節:自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。

12章 34節:あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」

ルカによる福音書  12章:32節~34節(新共同訳)

 32節で「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」「あながたに父は神の国を与えることを良しとされた」「喜びとされた」とお語りになりました。私たちが小さな群れであり、恐れずにはおれない者であることをイエスさまはよくご存知なのです。神さまが天の父として私たちを愛し、命と体を養い、装い、守って下さっているというのは本当だろうか、この神さまのご支配、神の国は本当に実現するのだろうか、という恐れです。

 ともすればこのような恐れに捕えられていく私たちに、イエスさまは「恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」と語って下さっています。私たちの父である神さまが、私たちへの愛によって、喜んで、神の国を与えて下さる。33節では「自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない」。「富を築く力」を与えてくださった主を思い出しながら、その主への感謝として振る舞ったもの、それが「施し」であるとイエスさまは教えています。

 父なる神さまが私たちの命と体を養い、装って下さるのだから、私たちはもう、自分が持っているものにしがみつくのでなく、むしろそれらを自由に用いることができる、自分のためよりも、神さまのみ心に適うことのためにそれを献げていくことができる、ということです。「富を天に積め」とありますが、それは、施しなどの良い行いをすることによって言わば神さまに貸しをつくり、その報いとして救いを得ようという話ではありません。「富」というのは、私たちが頼りにしているもの、より頼んでいるものです。それをどこに置くか、が問われているのです。それを天に積むとは、神さまにこそより頼むことです。

 「あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ」と最後の34節にあります。その人の心は地上にではなく天に向けられています。神の国をこそ求めています。そこに、思い悩みや不安から解放され、自己実現の貪欲から自由になって、自分に与えられているものを他者のために用いていくことができる新しい歩みが与えられるのです。