礼拝メッセージ(2021年12月26日)
『 忠実で賢い管理人 』
 林健一 牧師 
ルカによる福音書 12章:41節~48節

12章 41節:そこでペトロが、「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか」と言うと、

12章 42節:主は言われた。「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。

12章 43節:主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕(しもべ)は幸いである。

12章 44節:確かに言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。

12章 45節:しかし、もしその僕が、主人の帰りは遅れると思い、下男や女中を殴ったり、食べたり飲んだり、酔うようなことになるならば、

12章 46節:その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遭わせる。

12章 47節:主人の思いを知りながら何も準備せず、あるいは主人の思いどおりにしなかった僕は、ひどく鞭打たれる。

12章 48節:しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても少しで済む。すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。」

ルカによる福音書 12章:41節~48節(新共同訳)

 クリスチャンとは日々、神さまに与えられた時のなかでゴールに向かってどのような心構えをもって歩んでゆけばよいのか、前回から私たちは学んでいます。主人の帰りを待つ者の態度を通して主人であるキリストに対する態度が問われるのです。「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。」主の御用とあればいつでも用意できる僕であることを学びました。今回は、主人の留守中における僕の姿をとおしてイエスさまを待つ者の在り方について教えようとしています。

 ペトロはイエスさまに質問します。「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか」ペトロの問いイエスさまは答えられます。「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。」 

 大変だけど主の言われたこと、ゆだねられたことをやり果せた、ちゃんとやっていると主人が見てくれました時には、「主人は彼に全財産を管理させる」。「持ち物すべてを管理させる」という表現です。主人の「持っている」人的資源も家畜も何もかも含めた「すべての主人の持ち物」ということ。これをすべて管理させるというのですから、実際上は、主人の生活と働きをそっくりそのまま任せてもらえますよという、こういう報いがあるのです。

 そしてイエスさまは「忠実」さと、もう一つ大切なものとして「賢さ」同じ意味として「思慮深さ」を挙げています。この言葉は分別がある、判断力があるという意味の「賢い」という言葉なのです。私たちは神さまから預けられたものについて「賢さ」を用いて歩まなければなりません。それは「賜物」かもしれません。「時間」かもしれません。あるいは何でしょうか?結局イエスさまは私たちの人生に無駄なものを与えはしないのです。すべてが神さまから預けられたものであるということです。それについて私たちが良い判断力もってみることができるかということです。

 主人は神さま、私はあくまでも僕にすぎない。キリストの僕である者は「忠実で賢い僕」であれという、この一言です。主人に対して「忠実な」、ゆだねられたものに対しては「分別をもって」、「主のご計画を知る」知識に基づいて仕事を行なうような「僕」であれという、この一点に尽きると思うのです。