礼拝メッセージ(2018年11月25日)

『 主に祝福された者の一族 』イザヤ書 65章:17 ~25節  執事 石井 努

 今日のみ言葉は、バビロンから帰還し新しいエルサレムを起こそうと苦しんできた人々に向かって語られただけの預言なのでしょうか。今から2500年前に起きた出来事とその人たちに与えられた神の希望の言葉だけなのでしょうか。「新しい天と地を創造する」「創造・バ-ラ-」なんと大胆な、なんと壮大な言葉でしょう。創世記の一番初めに描かれている「初めに、神は天と地を創造された」これですよ。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面に動いていた。神は言われた「光あれ」こうして、光があった。この物語を連想さえさせるエルサレムを舞台にしているお話しを、なぜ、神は今、わたしたちに読ませるのでしょうか?これは、この時代の人々だけに語っておられるのではありません。わたしは断言します。今でも、同じ65章の一節にあるように、「わたしはここにいる、ここにいると言った。」と神様はわたしたちを招いてお出でです。

2000年前に、イエスさまが十字架に架かられて流された血潮によって、神さまはわたしたちの背きの罪、神を知らないという罪を、赦して下さり救いの中に入れてくださいました。誰でもイエス様をキリストと信じたなら、その人は新しく創造されるのです。

今日の宣教テーマに上げさせていただきました23節の言葉、「彼らは無駄に労することなく、生まれた子を死の恐怖に渡すこともない。彼らは、その子孫も共に、主に祝福された者の一族となる。」のように、わたしたちは、自分の生き方に悩むことはなく、生きると言う事の中から死への恐怖から解放されるのです。それは子孫へも受け継がれ「主に祝福された者の一族」となるのです。イエスさまは仰いました。「神の国は見える形ではこない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」と。これはもう、聖書の中の話ではありません、イザヤが預言をしていた時代のことではありません。新しい天と地の創造は、いまここでこの言葉を聞いている「あなたがたとわたしたち」、「主に祝福された一族の者」の間に起こっていることです。わたしが申し上げたいことは、「新しい天と地はイエス・キリストによって既に創造される只中にある。」という事です。わたしたちが想いの変換、この世の富や権力ではなく、神様に委ねる、隣人を大事に思う、愛する。という心の居場所、信仰に移したなら、新しい天と地は今スグに見えて来る。」という事です。