礼拝メッセージ(2019年10月27日)

『 天には栄光、地には平和 』 ルカによる福音書 2:13~14  牧師 林健一

 前回では野宿していた羊飼いたちに救い主メシアの誕生が告げ知らされたところまで読みました。天使は「飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」(2:12)を見つけると。よくクリスマス・カードなどの図柄では、飼い葉桶に寝ているみどりごイエス様を囲んで牛とろばが描かれています。これは、イザヤ書の1章3節から生まれた図柄です。「牛は飼い主を知り ろばは主人の飼い葉桶を知っている。しかし、イスラエルは知らず わたしの民は見分けない」。牛、ろばは主人を知ることができるのに神の民であるイスラエルが主人である神さまを知ることができないことを皮肉った神さまの言葉です。そういうイスラエルに神さまは天使を遣わして救い主イエス様の誕生を告げるわけです。
 イスラエルだけでなく人間そのものが自分たちの主人である神さまを知らない、いや見分けられない。そういう私たちにイエス様の誕生が告げ知らされたことを感謝したいと思います。
まさに暗闇のなかにいた羊飼いたちのように私たちも暗闇のなかにいたわけですから、そこに神さまの光が照らされたのです。天使たちは神さまを賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(2:14)
大変短い賛美でありますが、ここに私たち人間に与えられた神さまからの恵みがどのようなものであるかが一言で表されています。本日は「地には平和、御心に適う人にあれ」私たちの間に与えられる神さまからの平和について聞いていきたいと思います。
 平和を求める祈り、これは、旧約の中から既にあります。詩編122編6~8節「エルサレムの平和を求めよう。あなたを愛する人々に平安があるように。あなたの城壁のうちに平和があるように。あなたの城郭のうちに平安があるように」同じく詩編125編の最後に「イスラエルの上に平和がありますように」平和を求める祈りは旧約聖書時代から既にささげられていましたが、圧倒的に出てくるのが、実は新約聖書からです。新約聖書の手紙の中で、冒頭に「平和があるように」と祈って始まるのが17通あります。それから、手紙の結びの別れの挨拶で、「平和がありますように」と結ぶのが6通あります。キリスト教の手紙を読むと、繰り返し繰り返し、「あなたがたの上に平和があるように」と祈られてきました。けれども裏を返せば私たち人間の世界に平和がないということを聖書は語ってもいるわけです。
 同じ「平和」でも旧約と新約では意味がずいぶん違います。ヘブライ語の「シャローム」という言葉には、ただ関係が無難であるだけでなくて、中身が健康である、繁栄している、幸福であるという、中身が詰まった意味がある。ザカリアの預言1章79節に出てきます。自分に焦点を当てた「平和」のように思います。
 新約での平和はギリシャ語の「エイレーネ―」という言葉です。こちらの「平和」は、今日の私たちが理解しているような、喧嘩をしない、争いごとをしない、そういう関係を表す言葉です。幸福とか健康とかいう中身の方よりも、対人関係が「平和」である。語源的に言うと「話し合いができる」という意味です。人と話しができる関係。これをキリスト教会が「平和」を祈るときに使う言葉です。今日の世界で私たちが祈り求めなければならないのは「シャローム」も大切ですが、「エイレーネ」の「平和」ではないでしょうか。