礼拝メッセージ(2019年5月12日)

『 願いは聞き入れられた 』 ルカによる福音書 1章:8~13節  牧師 林健一

与えられているいのち
今日は母の日です。今から114年前の1905年5月9日に母親を亡くしたアンナ・ジャービスという女性が、3年後の1908年5月10日、母を偲んでフィラデルフィアの教会で白いカーネーションを配りました。それが母の日の起源です。1914年にはアメリカの議会で、5月第2日曜が「母の日」と定められました。日本では、大正期、青山学院の教授だったアレクサンダー女史が紹介したことから、キリスト教会を中心に広まったそうです。
十戒の第5番目として「あまたの父母を敬え」という戒めがあります。十戒には神さまとの関係、人との関係にわかれています。人との関係において最初に両親との関係が、私たちが神の子として生きていくうえで大切な戒めとしてあるのです。十戒は成人男子に対して与えられた戒めでした。「父母を敬え」の「敬え」とは「重くする」「重い」が本来の意味です。あなたのなかで決して父母のいのち、存在を軽く見てはならない。年老いるとは生産性がなくなるということでもあります。3年前の相模原市で起きた障碍者施設殺人事件の犯人は障碍者と認知症の人たちを「心失者」として役に立たないのでこの世から消したのだと主張しています。まさに神さまに与えられたいのちを軽んじたといってよいでしょう。

信仰者は与えられているなかで生きていく存在
まことに主の戒め、律法というのは守るべきとはもとより神の民としての存在の重さ、神さまから愛されている重さを知り、感じることなのです。そういう意味で神の民ユダヤ人は神さまからの特別な愛をいただいた民族であるわけです。今日一緒に聞きました御言葉から「願いは聞き入れられた」です。私たちの願いが聞かれる。そういう経験は喜びであります。幸いなことです。願いが聞かれるためにはどうすればいい。このように神さまに祈ったらいい、ということを皆さんと分かち合うためにこのテーマを選んだのではありません。信仰者として神さまの前に願うこと、願いが聞き入れられるという事はどういうことか、それは信仰者である私たちにとってどれほど幸いなことであるかを皆さんと分かち合いたいのです。私たちは福音を信じています。世にある宗教の特徴は、人間が神さまに届こうとすることです。しかし、福音の特徴は、神さまが人間を捜しておられることに気づくことです。方向がまったく逆です。ここが重要な点です。福音であるはずの私たちの信仰が、宗教になることは十分考えられます。福音にある私、宗教にとらわれている私。このどちらに立っているかで「願い、祈り」というのが天と地ほどの違いになるのです。