礼拝メッセージ(2019年5月19日)

『 準 備 の で き た 民 』 ルカによる福音書 1章:14~17節 牧師 林健一

満たされる喜び
今日与えられた聖書箇所では天使ガブリエルがザカリヤに与えられる子ヤコブについて、彼がどのように成長し、神さまの御前に働きをする人になっていくのかを語ります。そのなかで特に15節「彼は主の御前に偉大な人になり、」という言葉に注目したいと思います。「偉大」という言葉は「大きい」という意味です。この言葉は旧約聖書においては神さまの属性を表す表現です。詩編135編5節に「わたしは確かに知った 主は大いなる方 わたしたちの主は、どの神にまさっても大いなる方。」の「大いなる方」というのが「大きい」という言葉です。
聖書が意味する「主の御前に偉大な(大きい)人になる」は、世間的あるいは社会的にどうなるかは知りませんが、エリサベトが産む男の子ヨハネは、主なる神さまとの関係においては「大きい」と言っているのです。
皆さんはこれを聞いてがっかりするでしょう。こんなものか。となぜなら私たちはこの世の価値観において自分が大きくなることを求められてきたからです。右肩上がりの経済成長、頑張れば頑張るほど成長していく、伸びていくという社会、これが世界だと普遍的なものだと信じて疑わないなかで歩んできました。しかし、これがいまぐらついています。普遍的なものではない。と気づき始めています。
福音を伝道する喜び
日本の教会もそうです。私たち教会は何のために福音を伝えるのでしょうか。もちろん教会に人が来れば嬉しいし励みにもなります。しかし、私たちの目的は今週何人来ました。よくできました。というノルマ達成のためではありません。人そのものが救われる、神さまとの出会いによってその人が変えられていく喜び、今まで絶望しか知らなかった人が主の出会いによって喜びを知っていく。私たちも見て喜ぶ、このことのために私たちは福音を伝道しているのではないでしょうか。私がある地方の教会を訪問して感じたのはそういう喜びだったのかと思うのです。私たちが主との関係において大いなる喜びに満たされていなければ喜びの福音を携えて出ていくことはできません。
今年度の主題である「主の恵みを喜び 福音を伝えていく教会」として主との関係において大いなる喜びに満たされていきましょう。