礼拝メッセージ(2019年5月26日)

『 キリストに在って、あなたは自由です 』 ガラテヤの信徒への手紙 5章:1節  K教会員

奴隷のくびきに二度とつながれてはなりません
聖書が語る「自由」とは、この世の価値観からの「解放」。色々な事に囚われている事からの「解放」。キリストは私たちを贖い、開放する為に十字架に死んでくださった。私たちの駄目さや不信仰さを全てご存知のうえで罪から解放し、キリスト者として尚立ててくださる。13節。「兄弟たち、あなたがたは自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。」
誰にとってもたった1度の人生。肉に罪を犯させる生き方を選ぶのか。それとも、16節「霊の導きに従って歩みなさい」との御言葉に聞き、キリストに罪赦された者として、主に聞きながら主と隣人と共に歩むのか。私たちキリスト者も今、問われている。
混乱するガラテヤ教会の人々にパウロが示したのは御言葉。この事はとても示唆的。思い悩み心乱される時、私たちは聖書に、御言葉に繰り返し立ち帰り聞く必要がある。
「隣人を自分のように愛しなさい」律法全体はこの一句によって全うされている。
あなたは愛(キリスト)に生きるのか、律法に生きるのか、パウロは私たちにも語る。
1節はガラテヤの信徒への手紙の中心的テーマ。「この自由を得させるために、キリストは私たちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷のくびきに二度とつながれてはなりません」この言葉は、パウロ自身繰り返し祈りに覚えた言葉ではなかったか。信仰弱い私たちもパウロと同じく「二度と奴隷のくびきにつながれない」「キリストの十字架の恵みの中で生きる」この事をお互い祈り覚えたい。
神の選び
いろいろなしがらみや人間関係、この世の常識や価値観に縛られて生きている私たち。神に立ち帰る時、主は私たちをそこから解放して下さる。主の選びは「あなた方が私を選んだのではない。私があなた方を選んだ」ヨハネ15章16節という選び。何か特別な才能や賜物を持っている人だけではない。主は、自分中心の考え方しかできない私たちをも選ぶという事を通して解放してくださる。その神への応答が、感謝し主の礼拝を守ること。私たちの教会も少人数ですが私たちの弱さを全て知る方が私たち一人ひとりを主の必要として下さるのです。私たちは主のその思いに応えていきたいと思います。