礼拝メッセージ(2021年4月11日)

『 満腹した 』 ルカによる福音書 9章:12~17節   林健一 牧師

 イエスさまの代わりに神の国の福音を宣べ伝えるために派遣された使徒たちが戻ってきました。そして使徒たちはイエスさまに自分たちの働きを報告しました。するとイエスさまは、使徒たちを連れて「自分たちだけで」ベトサイダという町のほうに退かれました。ところが人々はそれを放っておきませんでした。群衆はそれを知って、イエスさまの後を追ったのです。この人々は、イエスさまから神の国のことを聞きたかった。あるいは、病を癒していただきたかったのです。それほど切実だったわけです。イエスさまを必要としていたのです。

 さて、そうこうするうちに日も傾いてきました。それで使徒たちはイエスさまに言いました。12節「群衆を解散させてください。そうすれば、まわりの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。私たちはこんな人里離れた所にいるのです。」ところがそれに対してイエスさまは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と言われました。さて、では弟子たちは、どれだけの食料を持っていたのでしょうか。実に、「パン五つと魚二匹」でした。いったいどうやってこの大群衆を食べさせることができるのか。

 しかしここで弟子たちは、完全に忘れていることがあります。それは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とおっしゃった方が、イエスさまであるということです。1万数千人の群衆を前にして、たった五つのパンと二匹の魚で彼らに食べさせることは無理だと絶望してしまっている。もちろん、弟子たちには食べさせることはできません。しかし、イエスさまにならできる、ということをもう忘れてしまっているのです。

 イエスさまは、その五つのパンと二匹の魚を手に取り、「天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた」と書かれています。「すべての人が満腹して食べた」。すなわち、イエスさまの手の中で、そのパンが増えたということです。魚も同様です。5つのパンと2匹の魚が、弟子たちの手元にある限りは、ただの5つのパンと2匹の魚でした。それがすべての持ち物でした。しかしそれがイエスさまの手に渡った時、奇跡が起き、それは非常に多くの人々を養うものとなったのです。