礼拝メッセージ(2021年4月18日)

『 イエスを何者だと言うか 』 ルカによる福音書 9章:18~20節   林健一 牧師

20節 イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「神からのメシアです。」
 これはあまりにも有名なペテロのメシア告白です。ペテロはイエス様に「あなたこそ、神が私たちにお遣わしになった救い主」と告白しました。私たちにとってイエスはどのようなお方なのでしょうか?

父なる神様と私たち人間の断絶をつなぐお方である。
「その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。」(ヨハネ16:26)
 聖書でいう名はその人自身を現します。私たちでは届かない祈りでもイエス様の名によって祈るなら私たちは父なる神様との親密な交わりのなかに入らせていただくことができます。私たちがすごいのでなくイエス様によって父なる神様は私たちを受け入れてくださるのです。

救い主としての使命をよく知っていた方でした。
 イエス様はご自分の使命、救い主としての働きをしなければいけないことをよくわかっていました。それは父なる神様のお心を知っていたからです。イエス様は神のひとり子として初めから父なる神様と共におられ、父なる神様と共にこの世界を創造されました。イエス様は造られた被造物ではなくこの世界の創造主なのです。私たちは被造物であって造られた者です。どんなにしても神様の御心を完全に知ることはできないのです。神のひとり子である主イエス・キリストのみが父なる神様の御心を知ることができるのです。

私たちを覚えていてくださる方である。
 教会で使われる用語に「覚える」という不思議な言葉があります。普段の生活のなかでは使われない言葉です。それは単に記憶するという意味ではなく、例えば誰々を覚えて祈るというときには、その方のことを心に留めて祈るということであります。イエス様は父なる神の御心を知っていました。同時に私たちをも覚えていてくださっている方なのです。ですから、両者をつなぐことがおできになる。私たちの罪を担い父なる神へと招くことがおできになるのです。