礼拝メッセージ(2021年4月4日)

『 平和があるように 』 ヨハネによる福音書 20章:19~23節  林健一 牧師

 イースターおめでとうございます。ここに集う私たちは主イエス・キリストの復活を喜ぶべきでしょう。私たちはイエス様に向かって喜びの声をあげたいのです。復活の恵みを私たちに、くださった主に感謝し喜び祝いたい。ですが価値を知らない者にとって、主の復活が私にとってなんになるのかと思う。どうでしょうか?

 今日の聖書から、人は復活の恵みをどのように味わい知るかを教えられます。第一に、復活の恵みとは、ただ誰にでもあらわれるものではないということです。弟子たちは、十字架にかかられた主イエスさまの前から逃げ去り、聖書に記されたとおり、彼らはユダヤ人たちを恐れて自分たちのいる家の戸に鍵をかけ閉じこもっていたのです。閉じこもった部屋から出ることができない弟子たちのところに復活の主イエス・キリストが入って来られたのです。

 第二に、そのように閉ざされた部屋から解放されるよう扉を開け放つ鍵とは、復活の主が私たち一人ひとりの心に「平和があるように」と語りかけてくださる福音、喜びの知らせなのです。「平和」とは「シャローム」です。主イエスさまが去って行かれる時に約束した「平和」「シャローム」です。ヨハネ福音書14章27節「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな」。どんな時にも、神が共にいますという確信に立つ安心、穏やかさ、満足、信頼の状態です。

 第三に、閉ざされていた私たちの心に響き渡る、主の平和・シャロームとは、私たちを主の平和のために遣わす前進命令となります。主の十字架、人間はどこまでも神さまの愛を否定しますが、神さまはどこまでも人間を愛するという神さまの愛を示します。神さまの愛を絶対に認めない、その人間の憎しみを打ち破って主イエスさまは復活したのです。それまで閉ざされていた思い、そして生き方から、主に導かれ、主と共に、主のご用のために自分が用いられる喜びに満たされながら、私たちはその時から、「主に遣わされる人生」に旅立つようになるのです。