礼拝メッセージ(2022年11月27日)
『 メシアはだれの子か 』
林健一 牧師
ルカによる福音書 20章:41節~44節
20章 41節:イエスは彼らに言われた。「どうして人々は、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。
20章 42節:ダビデ自身が詩編の中で言っている。『主は、わたしの主にお告げになった。「わたしの右の座に着きなさい。
20章 43節:わたしがあなたの敵を/あなたの足台とするときまで」と。』
20章 44節:このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」
ルカによる福音書 20章:41節~44節(新共同訳)
イエスさまは、人々が「メシアはダビデの子」だと言っているがそれはなぜか?(20:41)と、お問いになっています。イエスさまがロバの子に乗ってエルサレムの都に入られた時、群衆が「ダビデの子にホサナ!」といって歓迎したことが書かれています。これは民衆が、もしかしたらイエスさまこそメシアではないか、と期待して叫んでいる言葉です。なぜ「ダビデの子」という言い方が、メシアを指す言葉になったかというと、その昔イスラエル王国の王ダビデに対して、主が「あなたの身から出る子孫に後を継がせ、その王国を揺るぎないものとする」(サムエル記下7:12)とおっしゃったからです。すなわち、「ダビデの子」とはダビデの子孫ということになります。そしてイスラエル王国が栄華を極めたダビデ王朝の再来を期待する言葉でもありました。
そのように人々が「メシアはダビデの子」と言っていました。それに対してイエスさまは、当時のユダヤ人ならだれでも知っている聖書の詩編110編の言葉を引用して、ダビデがその詩編の中で言っている言葉を取り上げ、「ダビデがメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子」(ルカ20:44)なのか、とお問いになったのです。ダビデの主であるメシア、しかも天の国で父なる神さまの右の座におられるいと高き方が、わざわざダビデの子孫として生まれる理由は何か。ここでいうメシアが、だれのことを指しているのか?このメシアとは、実にイエスさまのことを指しているのです。父なる神の右の座におられたイエスさまが、ダビデの子孫として人間となってこの世に生まれてくださった。それはなぜか?この私たちを救うためです。罪から救うためです。そのために十字架にかかるためです。そのために「ダビデの子」となられた。
聞いている人たちは、もちろんそのことが分かりません。ですから、イエスさまがお問いになったことに答えることもできない。父なる神さまに次ぐ方であるメシアが、その高いところにおられた方が、低く低く下って、ダビデの子として人となってこの世にお生まれになり、しかも家畜小屋にお生まれになり、この世を歩まれ、最も低くなられて十字架におつきになるのです。