礼拝メッセージ(2022年12月4日)
『 人一倍厳しい裁き 』
林健一 牧師
ルカによる福音書 20章:45節~47節

20章 45節:民衆が皆聞いているとき、イエスは弟子たちに言われた。

20章 46節:「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣をまとって歩き回りたがり、また、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを好む。

20章 47節:そして、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」

ルカによる福音書 20章:45節~47節(新共同訳)

 

 主イエスさまは、弟子としての生き方をここで2つのお手本をもって語られました。1つはこうあってはならないという否定的な面、それが「律法学者に気をつけなさい」(46)です。2つは、このように生きなさいという積極的な面、それが次の「やもめの献金」によって教えられました。明らかに1つのことの裏表として対照的に語られています。「律法学者に気をつけなさい」と言われました。当時、ユダヤ人社会では、神の掟である律法を守り行うことで、神さまに認められ、救われると信じられていました。律法は、ユダヤ人にとって最も価値あるものでした。その律法を研究し、人々に教える律法学者は、社会で最も尊敬され、評価される存在でした。その尊敬と評価に、律法学者たちはいつの間にか慣れてしまったのでしょう。そして、人の尊敬と評価を求めて生きる者となってしまったのではないでしょうか。主イエスさまはこのようにキリストの弟子たち、その指導者たちへの警告として語られたのです。


 主イエスさまは「彼らは長い衣をまとって歩き回りたがり、また、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを好む」(46)と言われます。このように律法学者・ファリサイ派の人たちの日常の姿を描き出して、「これは見せかけだ」と言われた。人目を意識して、人の目にどう映るかということに気を配って生きる生活だ、これは偽善だと言われたのです。信仰とは神さまとの関係の結び直しです。人間同士の間にある上下関係は、神さまと自分の向き合いには、何の関係もありません。律法を最もよく知っていながら、律法の最も大切なあわれみの規定を無視している。これは神をないがしろにすることです。主イエスさまは「このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる」(47)、神さまが裁かれると言われたのです。


 主イエスさまは神さまを「隠れたことを見ておられるあなたの父」と言われました。信仰生活は「隠れたことを見ておられるあなたの父」を自覚して、その神の前で生きることです。キリストの弟子の生き方は、へりくだりをもって歩むことです。へりくだりとは、人間的な徳目ではありません。キリストのへりくだりに学ぶことです。神の御子であるお方がへりくだって人となられたのがキリストの降誕とご生涯です。