礼拝メッセージ(2022年12月11日)
『 銅貨二枚の献金 』
林健一 牧師
ルカによる福音書 21章:1節~4節

   

21章 01節:イエスは目を上げて、金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられた。

21章 02節:そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て、

21章 03節:言われた。「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた。

21章 04節:あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」

ルカによる福音書 21章:1節~4節(新共同訳)

         

 今日の箇所でイエスさまが特に目と留めておられるのは「貧しいやもめ」の献金です。すぐ前のところでイエスさまは弟子たちに「律法学者に気を付けなさい」(20:46)と言われ、うわべを取り繕い、自分の名誉や利益ばかりを追い求めている彼らの生き方、振る舞いを批判なさっていました。また律法学者たちは「やもめの家を食い物にしている」(20:47)とも言われていました。そういう流れの中で、イエスさまは「貧しいやもめの献金」について弟子たちに教えておられるのです。「律法学者」が「こうなってはいけない」という悪い手本であったとするなら、今日の箇所に出てくる「やもめ」は弟子たちが見習うべき「善い手本」と言うことができるでしょう。


 当時、神殿の「婦人の庭」と呼ばれるところにラッパ型の賽銭箱が用途別に 13個置いてあったそうです。イエスさまはその婦人の庭で座って弟子たちに教えておられたのでしょう。そこから目を上げて、「金持ちたちが賽銭箱に献金を入れるのを見ておられ」(1)ました。続く 2節にはこうあります。「そして、ある貧しいやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見て」(2)。夫に先立たれたやもめは当時の社会において非常に弱い立場でした。女性が自分で収入を得るのは容易ではありませんでした。それゆえ、ここに出てくるやもめも「貧しいやもめ」、すなわち生活が苦しいやもめでした。イエスさまはこのやもめがレプトン銅貨二枚を入れるのを見ておられました。レプトン銅貨二枚というのは 100 円か 200 円程度のものです。それは非常に小さな金額、ささいな献金でした。しかしそれを見ていたイエスさまは次のように言われたのです。3節「確かに言っておくが、この貧しいやもめは、だれよりもたくさん入れた」


 やもめの献金は誰よりも小さな額でありがながら、そこには誰よりも深い神さまへの愛や感謝の思いが込められていたのです。彼女がそのようにすることができたのは彼女が自分への神さまの愛と憐れみを確信していたからでしょう。そしてその神さまの愛と憐れみは私たちにも注がれています。その神の愛は御子イエス・キリストの十字架の犠牲において決定的に示されました。神さまはご自分の愛する独り子を犠牲にするほどに、私たちを愛してくださいました。キリストもまたご自分の命を犠牲にするほどに私たちを愛してくださったのです。それゆえ私たちもその神さまへの感謝と愛の心から、自発的にささげる者でありたいと思います。