礼拝メッセージ(2023年12月31日)
『 先立つ神にまかせよ 』
石井努 牧師
詩編 37章:1節~5節

1:詩編/ 037編 001節
【ダビデの詩。】悪事を謀る者のことでいら立つな。不正を行う者をうらやむな。
2:詩編/ 037編 002節
彼らは草のように瞬く間に枯れる。青草のようにすぐにしおれる。
3:詩編/ 037編 003節
主に信頼し、善を行え。この地に住み着き、信仰を糧とせよ。
4:詩編/ 037編 004節
主に自らをゆだねよ/主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
5:詩編/ 037編 005節
あなたの道を主にまかせよ。

詩編 37章:1節~5節(新共同訳聖書)

        

 皆さんの「先立つ神」のイメージはこのように前に立ってその道を開いてくださる神、守ってくださる神、なのでしょうか。旧約聖書後半のゼカリアの預言書以後では、「主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。」というように先立つ者の表現はイエスさま誕生に関わる預言になっています。勿論、神はわたしたちの群れに先立って歩かれその道を示されるお方ではあると思います。そして、ゼカリア以後の預言のように神の御計画によってこの世に現れたお方、イエスさまこそが先立つお方であるとわたしは確信しているのです。

 イエスさまの公生涯は、バプテスマのヨハネからバプテスマを受けられた時から始まったと多くの神学者が述べています。イエスさまには何の罪もなかったと信じるわたしたちにとって、イエスさまがバプテスマを受ける事にどんな意味が含まれているのか不思議であったと思います。わたしはこう受け取る事と致しました。イエスさまはわたしたちと同じ処までへりくだってくださった。「バプテスマを受けることで、今まで神に背を向けていた過去を悔い改めて、信仰の道を歩く事が父への信仰を示すことです。」とわたしたちにその姿を見せてくださった。そして、人間が神に背を向けているがゆえに味わう、苦しさ、辛さ、をわたしも共に背負って歩くのだから、「安心してこの道に来なさい」と声をかけてくださっておられる。そう確信するのです。だからこそ、わたしたちは背中を押され、信仰を告白し、バプテスマへと進めるのではないでしょうか。

 御生涯の最後にイエスさまは、わたしたち人間の犯す罪の一切を引き受けて御自身と共に十字架につけてくださいました。それはわたしたちが罪の支配から解放されて、神様と再び父と子供の関係を回復することでありました。そして、新しく生きるためでもありました。復活されて、弟子やマリアたちの前に現れたイエスさまのお姿はわたしたちに永遠の命がそこにあることをはっきりと教えてくださっています。福音書に語られているイエスさまの御生涯は、例え話を通してわたしたち信じる者に、正しい生き方をお示しになられたことでありました。イエスさまこそがわたしたちに先立つ神のお姿であります。どの道を行けばよいか迷っているとき、「主に自らをゆだねよ、主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」この御言葉の約束があります。主にゆだねれば、主がそれを教えてくださいます。信頼することです。その先に希望が光を伴って見えて来るのです。