礼拝メッセージ(2023年7月23日)
『 お互いは、向かい合う同伴者 』
森淳一 牧師
(日本バプテスト連盟 高崎キリスト教会)
創世記 2章:18節~25節

02章 18節
主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」

02章 19節
主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。

02章 20節
人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。

02章 21節
主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。

02章 22節
そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、

02章 23節
人は言った。「ついに、これこそ/わたしの骨の骨/わたしの肉の肉。これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう/まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」

02章 24節
こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。

02章 25節
人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。

創世記 2章:18節~25節(新共同訳)

1.はじめに(ご挨拶)  

コロナ危機によって、教会内での活動はもちろんのこと、教会同士の交流も難しい時期が続きました。今回、4年ぶりに、きたかん相互訪問プログラムが再開し、今朝は太田教会の礼拝にご一緒させていただきました。太田教会の皆さまとのお交わりが益々豊かなものとなりますように、お祈りします。相互訪問の恵みは幾つもあるでしょう。その一つは、お互いの教会の牧師だけが行き来する、いわゆる「交換講壇」と呼ばれる企画ではなく、複数の教会員が参加するプログラムであることです。お互いの教会をよく知るためには、一人ではなく、多くの人たちの交わりが大切です。さらに、相互訪問の恵みは「自分」を知る機会が与えられることです。他者と交わるときに、人は改めて自分を見つめ直します。これまでの相互訪問の経験からも、他の教会に行くことで自らを振り、新たな気づきを与えられてきました。今日、またどのような出会いが与えられるか?…、楽しみです。9月は太田教会の皆さまを、高崎教会にお迎えする予定です。そちらもぜひ、よろしくお願いします。

2.「創世記」の創造物語から  

今日の礼拝では、「創世記」の創造物語から、神さまに造られた人として、私たちはどのように生きることが的を射たことなのか?…、ご一緒に聖書を読みたいと思います。注目したい言葉の一つは、「人が独りでいるのは良くない」(2:18)との神さまの言葉です。「創世記」の創造物語では、神さまの「良しとされた」という言葉が繰り返されてきました。しかし、ここで初めて神さまは「良くない」と言われたのです。聖書を読む私たちは、一旦、ここで、立ち止まる必要があるでしょう。神さまは、何を「良くない」と言われているのか?…、思い巡らしていきたいと思います。

3.お互いは、向かい合う同伴者

神さまは、私たちに、共に生きる者としての“向かい合う同伴者”を与えてくださっています。それは、たとえば、夫婦の関係だけに留まりません。人にはいろいろな関係が与えられています。教会の交わりで与えられる関係も、その一つでしょう。そして、その“向かい合う同伴者”とは、「他者性」と「共感性」という性質を持っているようです。“向かい合う同伴者”というと、「なんでも一緒」というイメージを持つかもしれません。けれども、そうではないようです。人と人とが共に生きるために大切なことは何か?…、このことも、聖書から、ご一緒に考えたいと思います。