礼拝メッセージ(2023年9月17日)
『 福音の力 』
K 執事
ローマの信徒への手紙 1章:1節~17節
1:ローマの信徒への手紙/ 01章 01節
キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、――2:ローマの信徒への手紙/ 01章 02節
この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、3:ローマの信徒への手紙/ 01章 03節
御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、4:ローマの信徒への手紙/ 01章 04節
聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。5:ローマの信徒への手紙/ 01章 05節
わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。6:ローマの信徒への手紙/ 01章 06節
この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。――7:ローマの信徒への手紙/ 01章 07節
神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。8:ローマの信徒への手紙/ 01章 08節
まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。9:ローマの信徒への手紙/ 01章 09節
わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、10:ローマの信徒への手紙/ 01章 10節
何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。11:ローマの信徒への手紙/ 01章 11節
あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。12:ローマの信徒への手紙/ 01章 12節
あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。13:ローマの信徒への手紙/ 01章 13節
兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです。14:ローマの信徒への手紙/ 01章 14節
わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。15:ローマの信徒への手紙/ 01章 15節
それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。16:ローマの信徒への手紙/ 01章 16節
わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。17:ローマの信徒への手紙/ 01章 17節
新共同訳聖書
福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
パウロはキリスト者を迫害する中で、復活のキリストと出会った。キリストの救いは一番遠くにいると思える人にも起こされる豊かな神の出来事。キリストはその人の過去がどうこうとかは問わない。キリストと出会うとは、自分に注がれている神さまの愛の眼差しに気付くこと。大切な事は出会ったキリストに応答していく事。パウロの考えたキリストヘの応答は伝道すること。7節 「神に愛され、召されて聖なるものとなったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたとあるように」パウロは時を越え、今この太田キリスト教会にも向けても「祈り」を合わせる。
パウロの伝道旅行はいつも「教会」から始まる。私たちの信仰生活の源。パウロが不安な思いを打ち明けた先、それが「教会」。私たちは、元気で勇ましく、力強く立派でなくていい。た とえ力弱くか細く、自信が持てず、オロオロしていてもいい。むしろ教会はそういう人を招くところ。教会はそういう人の為にある。だから、頼るのをためらわなくても良い。そんな弱いこのわたし達の為に教会はある。
12節「あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたい」と言及。「励まし合う」とは「祈り支え合う」こと「わたしは福音を恥としない」。パウロは「恥としない」とあえて「自分の弱さ」を語りながら「キリストの福音の力」を語る。私たちも「強がらなくてもよい」。弱さの自党こそ信仰の始まり。祈りには力がある。祈りで支える。これは思いさえあれば誰にでもできる貴い奉仕。祈る事自体が「キリストの祝福」であり、「共に慰めあう」こと。祈りが、教会の交わりや教会形成の基本。パウロが 目指すイスパニアとかローマとは私たちの身近で私たちに関係のある場所。家庭、会社、地域社会、学校・・・・。主の言われる「出かけなさい」は「出かけて行く事ができる」という神の保証。私が共にいるから、支えるから、不安や悩みを抱えたそのままで良いから、出かけて行こう。 そのような神の呼びかけ。私たちは疲れや不安や恐れを癒して頂き、休むために教会に帰って くる。確り休んだら、勇気 をもらったら、元気になったら、主の呼びかけに応答して又出かけていく。人生の不安は、私たちは決して独りぼっちではない。そう気付いた時、乗り切る事ができる。いつでもどんな時も、私たちはキリストと共にある。そう気付かされた時、 目の前の全ての事が平安にそして祝福に変わっていく。私たちが出かけていける覚悟の拠り所もパウロと同じくキリスト。キリストと共にある喜びを味わいながらこの教会からキリストの祝福を浴れる程抱えて、私たちのイスパニアである、其々の与えられた場所へ出かけていくこの事が私たちのキリストヘの応答と言える。