礼拝メッセージ(2024年1月21日)
『 約束の聖霊 』
石井努 牧師
ヨハネによる福音書 16章:16節~20節

16:ヨハネによる福音書/ 16章 16節
「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。」
17:ヨハネによる福音書/ 16章 17節
そこで、弟子たちのある者は互いに言った。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』とか、『父のもとに行く』とか言っておられるのは、何のことだろう。」
18:ヨハネによる福音書/ 16章 18節
また、言った。「『しばらくすると』と言っておられるのは、何のことだろう。何を話しておられるのか分からない。」
19:ヨハネによる福音書/ 16章 19節
イエスは、彼らが尋ねたがっているのを知って言われた。「『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる』と、わたしが言ったことについて、論じ合っているのか。
20:ヨハネによる福音書/ 16章 20節
はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。

ヨハネによる福音書 16章:16節~20節(新共同訳聖書)

      

 この世の人間イエスとしての役割を終えて天の父のもとに帰る。ご自分の時が来たことを覚えられたイエス様は、自分の愛する弟子たちだけを集めて、最後のメッセージをされました。イエス様が伝えようとされた内容は、ご自身が去って行くことは、彼らにとって益であるということでした。なぜなら、 「しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。」と7節で言われているように、去って行けば、助け主をお遣わしになるというご計画があるからです。その方が来られると、その「助け主・弁護者」がいつまでも彼らとともにおられ、すべての真理に導いてくださいます。その弁護者とは、今私たちと共にいてくださる聖霊なのです。私たちの人生にはいろいろな問題が起こりますが、この聖霊の助けによって、また、聖霊によって書き記された聖書のみことばによって、罪について、義について、また、裁きについて、わたしたちの誤った考えを正してくれるのです。


 この後で、イエス様が言われたとおりのことが起こります。イエス様が十字架に付けられることで、弟子たちは嘆き悲しむようになります。しかし、「あなたがたは泣いて悲嘆にくれるが、世が喜ぶ」「世」って誰のことでしょう。「「世」とは神に敵対する者たちのことです。イエス様を信じない人たち、邪悪な世界の人たちのことです。当時のユダヤ教の指導者たちがまさしくそうでした。指導者たちはイエス様が十字架につけられて死なれたことで喜びました。けれど、の喜びは束の間で、悲しみに変わることになりました。イエス様が死に勝利されたからです。サタンはイエス様が十字架で死んだことで勝利したと思って喜びましたが、イエス様がその死からよみがえられたことで、完全に滅ぼされてしまいました。喜びが悲しみに変わったのです。


 では、弟子たちはどうなったでしょうか。イエス様が十字架で死なれたことで嘆き悲しみましたが、その悲しみは喜びに変わりました。死からよみがえられたからです。イエス様が十字架につけられることは耐えがたい苦しみと絶望感すら味わいましたが、イエス様がよみがえられたことで、悲しみが喜びに変わったのです。イエス様が天に昇り、約束の聖霊を注がれた時、弟子たちは喜びに満たされました。悲しみは喜びに変わるのです。これは弟子たちだけでなく、あなたへの約束でもあります。あなたの悲しみも喜びに変わります。いつですか?しばらくすると。主はあなたを捨てて孤児にはなさいません。どんなに辛いときでも、どんなに苦しい時でも、あなたとともにおられ、あなたのうちにいて、あなたを助けてくださいます。あなたの目がイエス様に向くなら、あなたの悲しみは喜びに変わるのです。そう、あなたとはわたしたちのことなのです。