礼拝メッセージ(2024年2月18日)
『 派遣される者 』
石井努 牧師
ヨハネによる福音書 17章:9節~19章

9:ヨハネによる福音書/ 17章 09節
彼らのためにお願いします。世のためではなく、わたしに与えてくださった人々のためにお願いします。彼らはあなたのものだからです。
10:ヨハネによる福音書/ 17章 10節
わたしのものはすべてあなたのもの、あなたのものはわたしのものです。わたしは彼らによって栄光を受けました。
11:ヨハネによる福音書/ 17章 11節
わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。
12:ヨハネによる福音書/ 17章 12節
わたしは彼らと一緒にいる間、あなたが与えてくださった御名によって彼らを守りました。わたしが保護したので、滅びの子のほかは、だれも滅びませんでした。聖書が実現するためです。
13:ヨハネによる福音書/ 17章 13節
しかし、今、わたしはみもとに参ります。世にいる間に、これらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らの内に満ちあふれるようになるためです。
14:ヨハネによる福音書/ 17章 14節
わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです。
15:ヨハネによる福音書/ 17章 15節
わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。
16:ヨハネによる福音書/ 17章 16節
わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないのです。
17:ヨハネによる福音書/ 17章 17節
真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。
18:ヨハネによる福音書/ 17章 18節
わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。
19:ヨハネによる福音書/ 17章 19節
彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも、真理によってささげられた者となるためです。

ヨハネによる福音書 17章:9節~19章(新共同訳聖書)

           

 9彼らのためにお願いします。とあります。この世のために祈っているのではありません。わたしに与えてくださった人々のためにお願いします。彼らはあなたのものだからです。と祈られるのです。11わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。と、続いてイエス様は祈られました。この全世界に向かって派遣され、福音を広めて行く弟子たちの群れは、少数精鋭とは参りません。むしろ弱いと言ってよいかもしれません。弟子たちは、この主イエス・キリストの執り成しの祈りに支えられてこそ、この世においてみ言葉の語り手となることが出来るのです。次に、 14わたしは彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世に属していないように、彼らも世に属していないからです。と祈ります。教会の基礎、それはこの世からではなく、神から据えられるのです。わたしたちイエス様を主と信じる者の基礎も、おなじように神からのものです。


 17真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの御言葉は真理です。 18わたしを世にお遣わしになったように、わたしも彼らを世に遣わしました。 19彼らのために、わたしは自分自身をささげます。彼らも、真理によってささげられた者となるためです。これらの祈りの言葉は、父・子・聖霊の神が、神のエリアにわたしたちを住まわせて護ってくださっているとの宣言じゃありませんか。真理によって、彼らを聖なる者としてください。と祈られるのは、しばしば罪に侵されるわたしたちであっても清めてくださるということです。清めるのは、イエスキリストの十字架によって流された尊い血潮によるのです。わたしたちの力ではありません。わたしたちは、神の召しにしたがって集められ、聖なる者とされた、ハギオス「選ばれた者たち」なのです。


 わたしたちは、神様のみ言葉、真理によってイエス・キリストを通してこの世に派遣されました。派遣の根拠は真理の後ろ盾です。その根拠は先程、教会の基礎が神に据えられた、「わたしたちイエス様を主と信じる者の基礎も同じように神からである。」と、お話したように、すべて神からなのです。遣わされるということは、イエス様・神様がわたしたちに何かをさせるためなのです。わたしたちが神に繋がっていること。神様の方向を向いて祈ること。そこから始まるのが、福音伝道であり、教会形成なのです。しかも、その全ては神の御手に委ねられているのです。何も心配することはありません。わたしたち一人一人に気を配ってくださるイエス様が、それぞれに応じた働きを導いてくださるのです。私たちも、この「主の日の礼拝」から、神の救いの喜びを携え、主の証人として、この世に派遣されます。