礼拝メッセージ(2024年2月4日)
『 神が用意くださる 』
石井努 牧師
ヨハネによる福音書 13章:36節~14章:6節
36:ヨハネによる福音書/ 13章 36節
シモン・ペトロがイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのですか。」イエスが答えられた。「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。」
37:ヨハネによる福音書/ 13章 37節
ペトロは言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。」
38:ヨハネによる福音書/ 13章 38節
イエスは答えられた。「わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。」1:ヨハネによる福音書/ 14章 01節
ヨハネによる福音書 13章:36節~14章:6節(新共同訳聖書)
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。
2:ヨハネによる福音書/ 14章 02節
わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。
3:ヨハネによる福音書/ 14章 03節
行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。
4:ヨハネによる福音書/ 14章 04節
わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」
5:ヨハネによる福音書/ 14章 05節
トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」
6:ヨハネによる福音書/ 14章 06節
イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
5節では、主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」と言ったトマスの言葉からも想像が出来ますように、未だに、イエス様のお話の意味が分からない弟子たちには、理解できなかったのでしょう。イエス様ご自身の言葉や聖書の言葉に、「分からない」「出来ない」ということは、わたしたちにもよく起こることです。しかし、イエス様のお言葉はそうではありません。「出来る」です。2わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。 3行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。 弟子たちは「どこに行かれるのですか」「どこに行かれるのか分かりません」そう「知らない」というのです。しかしイエス様は[ 4わたしがどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」と仰います。
わたしは思うのです。イエス様はわたしたち一人一人を愛し、よく知っておられる。そのように、わたしたちの中にもイエス様を知る術を備えて下さっている。御心を受信するチャンネルを作っておかれたのです。信じる事によって与えられるのは、そのチャンネルを探すのは、信仰の目であり、信仰の手であると思っているのです。イエス様が、弟子たちの前を去って行かれても神は生き続けます。けれど神様とイエス様そして聖霊は一つのもの、そう信じる私たちは、イエス様は今も生き続けてわたしたちを見守っていてくださると信じるのです。そして、イエス様は今、ご自分の住まいである天に戻られるだけでなく、イエス様を主と信じるわたしたちの住まいをも、たくさん用意するといってくださるのです。いったいこれは、どういうことなのでしょうか。天の父のもとに、独り子であり神であるイエス様だけの住むところ「家」が用意されているというだけではないというのです。「あなたがた」「わたしたち」のための住まいを用意するために天に戻るというのです。これは主の約束です。イエス様は、信じるわたしたちにも、天の住み家を用意しておられると語られているのです。
わたしたちはこれまで、イエス様の誕生を喜び、そのご生涯を追ってまいりました。聖書から主イエス・キリストのなさったことを学び、み言葉として多くの言葉に慰められ、生きる指針としてきました。その歩みの中でイエス様を通して神を見上げてきたのです。そして今、イエス様が送ってくださった聖霊の守りと導きの中で生かされていると信じています。まさに、イエス様は道であり、真理であり、命なのです。やがてわたしたちが、裁きの場に立つ時、聖霊が「弁護する者」として、わたしたちが神を信じる者であると証言してくださるのです。わたしたちの希望と共に、神の国に続く道、神の住まい、どれも、イエス様が用意くださるのです。