礼拝メッセージ(2024年3月31日)
『 復活の希望 』
石井努 牧師
ヨハネによる福音書 20章:11節~18章
11:ヨハネによる福音書/ 20章 11節
ヨハネによる福音書 20章:11節~18章(新共同訳聖書)
マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、
12:ヨハネによる福音書/ 20章 12節
イエスの遺体の置いてあった所に、白い衣を着た二人の天使が見えた。一人は頭の方に、もう一人は足の方に座っていた。
13:ヨハネによる福音書/ 20章 13節
天使たちが、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言うと、マリアは言った。「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」
14:ヨハネによる福音書/ 20章 14節
こう言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。
15:ヨハネによる福音書/ 20章 15節
イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります。」
16:ヨハネによる福音書/ 20章 16節
イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。
17:ヨハネによる福音書/ 20章 17節
イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」
18:ヨハネによる福音書/ 20章 18節
マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。
十字架の上でイエスさまは七つの言葉をのこされています。初めに語られたのは「父よ、彼らをお赦し下さい。自分が何をしているか知らないのです」という執り成しの祈り。つぎに語られたのは、悔い改めの言葉をイエスさまに向かって述べた右側の囚人に対して「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と救いを告げる言葉。十字架の傍に、座り込むヨハネに対しては「これは、あなたの母、」マリアには「これは、あなたの子」と、わたしたちは神の家族であることを示されました。やがて「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになるのですか」とわたしたちと同じ肉体を持たれた人間としての悲痛な姿をお見せになり、そして、耐え難い苦痛の果て、人間としての叫び「渇く」を残されています。本当にわたしたちと変わらない体で苦難を共に背負う主であると強くお示しになられました。第6番目の言葉は「成し遂げられた」です。御自分が神の子としてこの世に遣わされた救い主として、務めを完成された言葉でありました。やがて辺りは暗くなり、神殿の幕は凄い光と共に、真っ二つに裂け、「父よ、わたしの霊を御手に委ねます。」と叫んで息を引き取られたのです。この顛末が啓示するものは、執り成しをしてくださるイエスさま。悔い改める者に赦しをお与えになるイエスさま。神の家族愛をお示しになるイエスさま。そして人間の苦しみ喘ぐ現実を共に担ってくださるイエスさまのお姿です。
「マリアよ」!主の声で、マリアは「イエス様だ」と気が付いたのです。復活のイエス様は必死に探し求める者に現われます。求め、探して、悲しみに暮れるマリアのところに現われたのです。復活のイエス様は、御自身から私たちそれぞれ個人の名をお呼びになるのです。羊は、自分の名を呼ぶ羊飼いの声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。ヨハネは、このように記しています。イエス様は群れの1人ひとりの名を呼ばれる大牧者であるのです。
心にとめておきたい出来事が起こります。ユダヤ人たちに会堂から追い出された弟子たちは、捕縛を恐れて戸口に鍵をかけ家に閉じこもって身を潜めていた。そんな彼らの前に、イエス様は突然身を現わされるのです。人間の生には限りがある事なのに、死んだはずのイエス様がそこにおられる。パウロが教えるように(つまり、自然の命の体が蒔かれて霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。Ⅰコリ15:44)イエス様の体は復活の体であって霊の体なのです。わたしたちも、弟子たちと同じように、時には人の目を怖がり、上役や友人にさえ気を使ってしまう。そんな生活をしてはいないでしょうか。富や権力を手にしても不安が解消されることはありません。死による恐怖もあります。そんなわたしたちの真ん中に主は立たれるのです。復活のイエス様は、わたしたちが囚われている、あの死を突き抜けてわたしたちの前に立つのです。弟子の群れ。教会の只中にイエス様は立たれるのです。そして言います。「あなたがたに平安があるように」今もこの教会の真ん中に立たれているのです。