私たちは自分を知らない
「ケーキの切れない非行少年たち」を読んだ。なぜ彼らは凶悪な犯罪者となってしまったのか?育った環境、家族など様々な要因がある。児童精神科医である著者は彼らとの関わりを通して周囲に理解されない障がいを持つ苦しみに気づかされる。
私たちはこんなこともできないのかと自分の持つ色眼鏡で責めてしまう。彼らは孤独になり苦しんでいく。私たちは思う以上に自分を知らない。よく知っているようでわかっていないのだ。聖書の中には「知る」という言葉が出てくる。とても重要な言葉だ。
「知る」とは関わりを持つということだ。神さまが私を知ってくださる。ということ。それは神さまが私の深いところにまで関わってくださるということ。私たちは神さまに日々知られるということをどれほどに喜んでいるだろうか?私たちは自分を知らないし、なおさら神さまのことを知らない。
周囲からの価値観で責められ、自分を責めてしまう。コロナで人々は必要以上に感染した人を責め、プライバシーまで暴こうとする。某アイドルグループで感染した人が何の根拠もないのに週刊誌でこのようなことをしたから感染したと書かれていた。後で週刊誌は誤りだと謝罪していたが、なぜこのような愚かなことをしてしまうのか?
本当の意味で私たちは自分を知らないからだ。自分の価値、愛されている事実、私たちは自分をよく知る必要がある。他人を責めないために、そして自分を責めないために。