貧しく礼拝するのでない、豊かに礼拝する

コロナの中で教会では集まって礼拝することができない。各家庭や各自で礼拝を捧げている。捧げているということが大事だ。私たちは自分勝手に礼拝をしているのではない。主イエス・キリストの父なる神さまに心を一つにして礼拝を捧げているのだ。

旧約聖書のユダヤ人、新約聖書での初代教会のクリスチャンたちは家で礼拝を捧げた。特に神さまの選びの民であるユダヤ人たちは神さまに礼拝を捧げた後、家族で食事をし喜びの時を過ごした。本来の礼拝とは家族で捧げるということなのかもしれない。

いや、そうだ。現代、家族は時に辛い場所になってしまうこともある。しかし神さまは家族が共に御前に集まって喜びの中で神さまに礼拝を捧げていくことを求めている。これが神さまにとって最も喜ぶ礼拝なのだ。今、私たちは最も豊かな礼拝へと戻るよう神さまに招かれているのかもしれない。