過ちを認めるのは負けることのなのか

聖書のなかに神さまが頑固な人たちに向かって「うなじのこわい民」だと彼らの心の頑なさを鋭く非難していることが書かれている。うなじのこわいとは首が固くなり向きを変えることができない状態を言っている。私たちは一度こうだと決めたならてこでも動かない。ほんの少し向きを変えれば違うものが見えてくる。今までやってきたことが間違っていたことに気づく。けれども人は向きを変えようとしない。人から指示されるのが嫌なのだ。罪は自分を神とする。これほど悲劇なことはない。破滅に向かっていても向きを変えることができずに突き進む。世の中全体が頑なな心になっていると思うのは私だけだろうか。