あなた自身の姿が見えていない怖さに気づけ

イエス様が罪人を赦された姿を見ていたファリサイ派の人たちがいっせいイエス様を非難した。神さまだったらこのような罪を犯した人を赦すはずがないというのが彼らの思いだった。イエス様は厳しくも彼らを幾度となくご自身の言葉を持って神さまの愛、心を伝えられた。それでも彼らは最後まで悟ることができなかった。イエス様を信じるキリスト者であっても現実にはこのようなことが残念ながらあるのだ。彼らの心にある思いこみと自分たちは神さまの前に赦されて立っているという、どこからその自信が来るのかわからないが… しかし、実際にはそうでなかった。イスラエルの民はつねに神さまから彼らが犯した罪と過ちについて裁きの言葉を受けていたのである。キリスト者も注意しなければならない。自分に都合よく聖書を読みこむことでなく日々、神さまの前において真っ白な、新しく教えていただく思いで神さまの言葉である聖書をうけていこう。