礼拝メッセージ(2021年11月21日)

『 人々の前で言い表す 』  林健一 牧師

「言っておくが、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、人の子も神の天使たちの前で、その人を自分の仲間であると言い表す。

しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、神の天使たちの前で知らないと言われる。

人の子の悪口を言う者は皆赦される。しかし、聖霊を冒瀆する者は赦されない。

会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、何をどう言い訳しようか、何を言おうかなどと心配してはならない。

言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」

ルカによる福音書  12章:8節~12節(新共同訳)
 
 「わたしの仲間であると言い表す」(8節)という言葉ですが、これのもとの言葉は、「同じ言葉を語る」という意味です。相手と同じ言葉を語る、それはその人の語ることに同意し、自分も同じ思いであると言い表すこと、つまり仲間であると言い表すことです。私たちが思い起こんでいた「告白」とは違うことに気づかされるでしょう。イエスさまにある父なる神さまへの熱く愛する思い、私たち人間への熱く愛する思い、特に弱く追いやられた人々への愛、今日私たちが聞こうとしているイエスさまの言葉は私たちがイエスさまと同じ思いを持ってこの社会を歩んでいるのか?隣人への思い、態度はどうであるのかということが問われているのではないかと思うのです。

 「だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す」(8節)
 ただ単に、人前でイエスを受け入れますとか、人前でイエスを認めますとか、ましてや仲間であると言うとか、そういう問題ではない。人前で、「わたしイエスに感謝をささげる」と言うことなのです。人前で、「自分はナザレのイエスに感謝をささげ、献身をいたします」ということを言い表す。そういうイエスさまに対する忠誠と献身をはっきりと表明すること、それが「自分を仲間であると言い表す」という本当の意味です。そしてイエスさまに対する信仰の告白は私たちからでるのではありません。イエスさまの私たちに対する愛から、愛を体験することからでてくるのです。

 次週からアドヴェントと世界バプテスト祈祷週間に入ります。世界各地に遣わされている宣教師と働き、その地をおぼえて祈りと献金を献げます。祈ること、献げることが重荷になってしまう方もいるでしょう。祈り、献げなくてもいいのです。神さまにとってはご自分の御業をなされることに私たちの業と奉仕は必要としないのです。神さまはご自分ですべてをできるお方です。神さまが私たちにご自身の御業を託されるのは私たちが神さまに依り頼まなければ何もできないことを知るためです。すべては神さまによってできることを知るためです。弱さ、愚かさを持つ私を愛してくださるイエスさまに感謝と賛美をささげていくことをとおして信仰告白を表していく者となりたいと祈り願います。