礼拝メッセージ(2021年5月16日)

 『 信仰が薄くても 』 ルカによる福音書 9章:37~43節a   林健一 牧師

 イエス様とペテロ、ヤコブ、ヨハネ3人の弟子たちが山を下りると何やら群衆たちのざわざわとした声が聞こえてきました。すると、突然一人の男がイエス様のまえに出てきて「先生、どうかわたしの子を見てやってください」(9:38)と必死に頼み込むではありませんか。彼の息子には悪霊が取りついている。39節「悪霊が取りつくと、この子は突然叫びだします。悪霊はこの子にけいれんを起こさせて泡を吹かせ、さんざん苦しめて、なかなか離れません。」息子のどうにもならない様子が父親の言葉をとおして見えてきます。

 弟子たちに悪霊を追い出すようにお願いしたのですが、結果は「この霊を追い出してくださるようにお弟子たちに頼みましたが、できませんでした。」(9:40)弟子たちは親子を助けることができませんでした。イエス様はえらくため息をつきながら嘆き弟子たちに向かって言われたのです。
「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしは、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。あなたの子供をここに連れて来なさい。」(9:41)

 不信仰なとは信頼のない、曲がった世代とは正しくない世代という意味です。これは神様とイエス様に対して信頼のない、正しく神様、イエス様を見ることができず正しく信じることができないという意味です。私たちも弟子たちと同じく何とイエス様に対し信頼のない、正しく見ることができない不信仰で、曲がった世代の者でありましょうか。

 イエス様を信じて従って来たはずの弟子たちが、信仰のない、曲がった、よこしまな思いに、つまり神様の力を祈り求めることをせず、自分の力で何かをすることができるような錯覚に陥り、結局悪霊に打ち勝つことができずに敗北してしまうことをイエス様は深く嘆いておられるのです。それは私たちの信仰の現実に対するイエス様の嘆きです。日々の生活の中で、神様に信頼して祈り求めることをせず、弱いくせに自分の力に頼って右往左往してしまうような私たちの信仰の有様を、イエス様は深く嘆いておられるのです。