礼拝メッセージ(2021年9月19日)

『 ベルゼブルか、神の指か 』  林健一 牧師

あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。

また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。

このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」

イエスは悪霊を追い出しておられたが、それは口を利けなくする悪霊であった。悪霊が出て行くと、口の利けない人がものを言い始めたので、群衆は驚嘆した。

しかし、中には、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言う者や、

イエスを試そうとして、天からのしるしを求める者がいた。

しかし、イエスは彼らの心を見抜いて言われた。「内輪で争えば、どんな国でも荒れ果て、家は重なり合って倒れてしまう。

あなたたちは、わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出していると言うけれども、サタンが内輪もめすれば、どうしてその国は成り立って行くだろうか。

わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。だから、彼ら自身があなたたちを裁く者となる。

しかし、わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ。

強い人が武装して自分の屋敷を守っているときには、その持ち物は安全である。

しかし、もっと強い者が襲って来てこの人に勝つと、頼みの武具をすべて奪い取り、分捕り品を分配する。

わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。」

ルカによる福音書  11章:14~23節(新共同訳)
 
 今日の聖書にはイエスさまの奇跡を疑い信じないばかりか、悪霊の仕業だと言っている人々がいました。その人たちに対してイエスさまは反論されました。神さまのみ業を目の前で見ていながらも信じることができない人たちがいます。どうして、そのようなことが起こってしまうのでしょうか?私たちは神さまの奇跡を素直に信じたいと思います。しかし、現実に私たちはどのようにしたら信じていくことができるのでしょうか。

 第一にイエス・キリストを信じている者は神さまの恵み、国、ご支配がすでに来ているのだ。私たちの人生は神さまの恵みにご支配されているのだという確信を持つことが必要です。イエスさまがなされた奇跡は一時的なものではありません。神の国がすでに私たちのところにきている証拠なのです。クリスチャン生活は神さまの恵みの支配の中での生活なのです。

 第二に神さまの恵みのご支配によって私たちを惑わし、神さまの恵みから引き離そうとしている偽りの支配から解放されているのです。イエスさまは神の国がやってきている。とおっしゃっています。私たちは弱いものです。ですが神さまが私たちを惑わす敵を打ち破ってくださるのです。私たちは偽りの支配者の力ではなく神の指が働いていることを信じなければならないのです。

 第三に神さまの恵みに対して謙遜になることです。私たちは人や自分によってではなく神さまの恵みによって信仰の自立をしなければなりません。主の恵みに対して心を閉ざしてしまう者となってはいけません。イエスさまは求める者に答えてくださいます。信仰の父であるアブラハム、ヤコブ、モーセ、ハンナ、マリヤなど彼らは神さまに謙遜でしたが御前にでて訴えることを畏れませんでした。主はそのような信頼しあえる関係を私たちに求めておられます。神の指に心ひらく者になりたいと願います。