なぜ神さまを求めないのだろう

先日、恩師の牧師から退院したとのお電話をいただいた。今でも勢力的に牧師の働きをしておられる。入院中は大変な手術とリハビリだったことをお聞きした。激しい痛みで眠ることもできない。いちばん辛かったのは祈ることができないとき、多くの人が祈ってくださった。ご自分が祈られていることを感じられた。どんなに信仰が強いと見える人でも祈れないときがあることを知った。祈りによって時と場所を超えて神さまが働かれることを知った。これだけ神さまがすごいことを聞いても祈れない自分がいる。いや祈ろうとしないのだ。再び祈りの道へと私を導く、主イエスのみ手を祈り求めていきたい。