礼拝メッセージ(2018年10月1日)

『士師として生きぬいたサムソン』士師記 16:18~31 牧師 林 健一

デリラしかいないんだ?
「彼はペリシテ人の時代に、二十年間、士師としてイスラエルを裁いた」(15:20)。宿敵ペリシテ人との間には緊張関係が続いていましたが、サムソンが士師として治めている期間はある程度、イスラエルは平穏でした。けれども、ペリシテ人は隙あればイスラエルを攻める機会をうかがっていました。ペリシテ人はサムソンの怪力の秘密がどこに隠されているのか知りたいと思いましたが知ることはできませんでした。それもそのはずサムソンの強さの秘密は神様から来ていたのです。サムソンは神様に選ばれていた人でした。またサムソンも神様を愛していました。サムソンはデリラを愛するようになった(16:5)。ペリシテ人はデリラに成功したら多額の報酬と引き換えにサムソンの強さの秘密がどこに隠されているのかを探り出すようにと誘います。あっという間にペリシテ人の誘いにデリラは乗りました(16:5)。さっそくデリラはサムソンに強さの秘密がどこにあるのか聞き出そうとしますが、そう簡単にサムソンは教えません。「あなたの心はわたしにはないのに、どうしてお前を愛しているなどと言えるのですか。もう三回もあなたはわたしを侮り、怪力がどこに潜んでいるのか教えてくださらなかった。」(16:15)デリラはサムソンにわたしへの真実の愛があるなら隠すことなく教えてくれるはずだと迫るのです。サムソンはデリラの本心を見抜くことができずに「心の中を」一切打ち明けました。サムソンは神様ではなくデリラを選んだのです。このときのサムソンの心にはどのような思いがあったのでしょうか?ナジル人として神様からの選びを受けた自分を忘れてしまい、自分を愛し、理解してくれるのはデリラしかいないんだと思ったのでしょうか?もしかしたらサムソンは怪力ゆえに心許せる人がいなかったのかもしれません。私たちもクリスチャンとして神様から救われて教会に集っている者たちです。この世においてクリスチャンは孤独です。孤独になるとき私たちの心は狭くなってしまいます。神様が私たちを愛していることが見えなくなってしまいます。「主が彼を離れられた」(16:20)。サムソンの心が神様から離れたとき、神様もサムソンから離れてしまいました。主が共におられないサムソンは力を失いペリシテ人たちに捕えられてしまいます。
神様は離れていなかった!
ペリシテ人に捕えられたサムソンでした。サムソンは神様から捨てられてしまったのでしょうか?牢屋での辛い日々のなかでサムソンは再び神様を見上げます。以前とは違った思いでより近いお方として神様に心を向けていくのです。「わたしの神なる主よ。わたしを思い起こしてください」(16:28)。イスラエルの神という遠い存在であった神様がサムソンにとって「わたしの神なる主」として呼び求める者となったのです。サムソンはようやく自分の神様を見出しました。神様は最後までサムソンと共におられました。私たちはどうでしょうか?自分だけの神様を見出しているでしょうか。「わたしの神なる主」と呼ぶときに私たちは本当に神様との出会いを経験するのです。